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2019年11月30日土曜日

日本の道百選、「ほこみち」に指定された「大手前通り」

大手前通り

姫路城下の大手筋は、明治中期まで現在の大手前通り(当時の名称:国府寺小路)の一筋西側の「中之門筋」で、1903年(明治36年)以降は現在の大手前通りの一筋東側の「御幸通り」がその役割を果たしていました。第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)、姫路大空襲で焼け野原となり姫路市の中心部は甚大な被害を受けました。その戦災復興のため戦災復興土地区画整理事業の目玉事業として、姫路城と国鉄姫路駅(現JR)を結ぶ道路(国府寺小路)の拡幅が姫路市により計画され、1949年(昭和24年)9月に着工、1955年(昭和30年)2月20日に完成し、盛大な式典が行われました。この道路は、建設当時「50m道路」と言われていましたが、一般公募により「大手前通り」と命名されました。当時は、大阪市の御堂筋がそう言われたように「飛行場でも作るのか」と揶揄(やゆ)されました。1984年(昭和59年)2月から1988年(昭和63年)にかけて「大手前通り・シンボルロード整備事業」が実施され、歩道はクスノキ(県木)が植えられ現在の姿となりました。2021年2月17日、国土交通省が新設した「歩行者利用増進道路(通称:ほこみち)」に指定。これにより、民間事業者が歩道で飲食ブースや休憩スペースを設置しやすくなりました。大手前通りは、姫路市の代表的な祭り、「お城まつりパレード(5月初旬)」、長壁神社の「ゆかたまつり(6月)」が行われ、姫路市民からも親しまれ愛されている道路です。
日本の道百選・顕彰プレート
JR姫路駅前・展望デッキ

ブロンズ像・東側北から

ブーツの少女・佐藤忠良
球もまた空に向かっていく
堀内正和
姫路城の鯱
夏帽子の少女・大桐国光
梟家族89・手塚登久夫
DANCING 山口裕之
煌・森田やすこ
海・橋本裕臣
想・日高頼子
暖流・岡本銕二
舞降りた愛の神話・巴邦彦

ブロンズ像・西側北から

大手前通り
道標・鳩1・柳原義達
道標・鳩2・柳原義達
花を持つ少女・船越保武
ニコラ・朝倉響子
お月さまのかお
K.SUMIKAWA
手を頭にのせたコスチューム1974
大桐国光
かげ・茂木弘行
聞える・山脇正邦
若き立像85・笹戸千津子
切り株と少女・山本正道
帽子を被ったら歩いてみよう
黒川晃彦

大手前通りで開催のイベント

お城祭りパレード
姫路ゆかた祭り
ミチミチ
こんなイベントも


2019年1月24日木曜日

田捨女が創建した「不徹寺」

不徹寺

不徹寺(ふとくじ)は、1688年(元禄元年)嶺雲貞閉比丘尼(れいうんていかんびくに:丹波柏原生まれ、田捨女(でんすてじょ)の法号)が創建しました。当時捨女は、元禄の4俳女(女流俳人)・古今俳譜女三十六俳仙に数えられるほど高名でした。41歳の時、夫が死去。剃髪(ていはつ:頭髪を剃ること)し、浄土宗の尼僧として上京。盤珪禅師に帰依(きえ)し、網干に移り、貞閉(ていかん)に改名。66歳で死去されました。貞閉は、「貞門六俳仙(松永貞徳門下の六人の優れた俳人)」に数えられ永久に讃迎(さんぎょう:ほめたたえてあおぐこと)された女性で、郷土の誇りとして今でも伝えられています。六歳で詠んだ「雪の朝」(雪の朝、二の字二の字の、下駄のあと)の句は全国で知られています。網干に移ってからは、尼衆を指導し、不徹庵定規や盤珪説法、自伝が遺されています。特に、貞閉庵自作の歌解説の筆跡の美しさには心をうたれます。
田捨女の子孫
田捨女の子孫は、著名人も多く財界人の田艇吉(でんていきち)、枢密院(すうみついん:天皇の諮問機関)顧問官・閣僚を歴任した男爵の田健治郎、参議院議員の田英夫さんらがいる。
☎ 079-272-0823
姫路市網干区浜田632

下記の地図で所在地をご確認ください。



2019年1月23日水曜日

丸亀藩陣屋門

丸亀藩陣屋門

龍野藩主・京極家が四国・丸亀に移封されても興浜や浜田の地は、丸亀藩の飛地となり、京極家の領地でした。この興浜の陣屋には、郡代や郡奉行が派遣され、藩の屋敷などがありましたが、1870年(明治3年)取り壊されました。この建物は老朽化した陣屋門を参考に、1987年(昭和62年)改築されたものです。
姫路市網干区興浜

下記の地図で所在地をご確認ください。



2019年1月22日火曜日

魚吹神社と提灯祭り

魚吹神社

魚吹神社(うすき)の祭神は、息長足姫命、品陀和気命、玉依比売命。創建時期は不明。平安時代末期に石清水八幡宮の別宮となり、魚吹八幡神社と呼ばれるようになり、網干津にあるので「津の宮」とも呼ばれています。魚吹八幡神社の秋祭りは、「提灯祭り」といわれています。提灯の列が神社の楼門にさしかかったとき、互いの提灯を叩き合い「提灯練り」が始まります。若衆の叫びと群衆のどよめき、竹を打ち鳴らす音が激しさを増し、祭りは最高潮となります。
提灯練り
姫路市網干区宮内193

下記の地図で所在地をご確認ください。



2019年1月21日月曜日

妻鹿城跡と黒田職隆公廟所

妻鹿城跡

妻鹿城跡(別名:国府山城)は、市川右岸の標高98mの甲山に築かれた山城で、1580年(天正8年)秀吉に姫路城を渡し、黒田官兵衛は父・職隆とともに移り住みました。
山の麓にある「妻鹿城址」の碑は1970年(昭和45年)建立されました。

黒田職隆公廟所

黒田職隆公廟所(びょうしょ)は、黒田官兵衛の父・職隆の廟所で、地元の人達からは「筑前さん」と呼ばれています。
姫路市飾磨区妻鹿字元宮372-1

下記の地図で所在地をご確認ください。



2019年1月20日日曜日

灘のけんか祭りの松原八幡神社

灘のけんか祭り

灘のけんか祭り
松原八幡神社・御旅山御旅所
灘のけんか祭りは、毎年10月14日・15日の2日間行われる松原八幡神社の秋季例大祭のことで、一の丸・二の丸・三の丸からなる3基の神輿をぶつけ合わせる神事と、旧7村の絢爛(けんらん)豪華な屋台が激しく練り競う勇壮な屋台練りのことです。この祭りは、「松原八幡神社・秋季例祭風流」として、兵庫県と姫路市の指定重要無形民俗文化財に指定されています。


763年(天平宝字7年)創建。現在の社殿は1718年(享保3年)氏子によって造営。楼門は姫路市指定文化財、打刀拵(うちがたなこしらえ)は兵庫県文化財に指定されています。
<拵とは>
(こしらえ)とは、刀装の形式のことで、刀剣を携帯し、使用しやすくするための付属装置全体を刀装、その部品を刀装具と言います。
松原八幡神社
姫路市白浜町399

下記の地図で所在地をご確認ください。