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宮本武蔵・あらすじ
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江戸時代初期の二刀流「二天一流剣法」の剣豪で画家。母の家を継ぎ、宮本武蔵義恒または玄信(政名)と名乗った。13歳の時、佐用町平福で新当流・有馬喜兵衛との初決闘で勝利。以後、巌流島の佐々木小次郎との決闘など生涯60回以上の決闘に一度も負けたことがないと伝えられている。その後、姫路藩主・本多忠刻と交流。姫路や明石等の城や寺院を作庭(本松寺、円珠院、雲晴寺)。この時期に夢想権之助(神道夢想流開祖)と明石で決闘。また、水野家臣・中川志摩助の三男・三木之助を養子に迎え、姫路藩主・本多忠刻に出仕させている。晩年は、肥後藩主・細川忠利に仕えた。自著「五輪書」は武道の奥義を記した兵法書として有名。国の重要文化財に指定された「鵜図」、「枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)」、「紅梅鳩図(こうばいはとず)」をはじめ、水墨画・鞍・木刀などの工芸品も各地の美術館に収蔵されている。1645年(正保2年)5月19日千葉城の屋敷で死去、享年62歳。
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<武蔵初決闘の場>
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<宮本武蔵生誕の地(太子町・高砂市)>
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<武蔵修練之地>
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キャスト
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吉川英治の長編時代小説で、1935年~39年まで朝日新聞に連載され、2003年「武蔵 MUSASHI」の大河ドラマ化された。吉川の小説の大河ドラマ化は、1991年の「太平記」以来4作目である。
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姫路城
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明石城・武蔵の庭園
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新免武蔵(市川新之助)、本位田又八(堤真一)、お通(米倉涼子)、佐々木小次郎(松岡昌宏)、お杉(中村玉緒)、朱実(内山理名)、お甲(かたせ梨乃)、沢庵(渡瀬恒彦)、新免無二斎(ビートたけし)、内山半兵衛(西田敏行)、お篠(宮沢りえ)、柳生宗矩(中井貴一)
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2020年9月4日金曜日
宮本武蔵
軍師官兵衛(播磨灘物語)
軍師官兵衛・あらすじ
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2014年放送されたNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でお馴染の黒田官兵衛は、大きな転機となるのが羽柴秀吉との出会いでした。播磨の豪族達が、毛利か、織田か、で揺れ動く中、織田に付くよう主君・小寺氏を説得。信長の命で秀吉に従うことなった官兵衛は、毛利攻めに向かう秀吉に姫路城を献上。それ以降、秀吉の懐刀(ふところがたな)として播磨を制定し、中国・四国・九州を征伐していきます。中でも、備中高松城の水攻めの際、本能寺の変で織田信長の死去が知らされ、肩を落とす秀吉に今が天下取りのチャンスと進言。「中国大返し」を実行させました。これらのエピソードからも、時代を見通す慧眼(えげん)の持ち主であったことが伺えます。また、戦国時代にあって、人の命をむやみに奪うことを嫌った官兵衛は、実戦だけでなく数々の戦で折衝にあたります。その中で、説得に赴いた有岡城で1年以上土牢(つちろう)に幽閉されましたが、秀吉を裏切らず忠節を貫いた「信念の人」でした。各地の戦陣で活躍した官兵衛は、1587年(天正15年)に九州征伐の論功行賞で豊前国の6郡を与えられ、豊前・中津へ移り、黒田家筑前52万3千石の礎を築きました。
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キャスト
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大河ドラマ「軍師・官兵衛」では、黒田官兵衛役に「岡田准一さん」、官兵衛の正室・光役に「中谷美紀さん」、織田信長役に「江口洋介さん」、信長の正室・お濃役に「内田有紀さん」、羽柴(豊臣)秀吉役に「竹中直人さん」、秀吉の正室・おね役に「黒木瞳さん」、徳川家康役に「寺尾聡さん」、明智光秀役に「春風亭小朝さん」が演じられていました。
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播磨灘物語
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司馬遼太郎の「播磨灘物語」は、黒田官兵衛の生涯を描いた歴史小説で、1973年5月から1975年2月まで読売新聞に連載されました。
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2020年9月3日木曜日
忠臣蔵
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忠臣蔵・あらすじ
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江戸時代中期1701年(元禄14年)、江戸城内において播州赤穂藩主・浅野内匠頭が旗本・吉良上野介に突如とし斬りかかった事件。吉良上野介は一命を取り留めたが、浅野内匠頭は切腹、赤穂藩はお取り潰しになる。翌年、遺された浅野家の家臣たちが事の原因は吉良上野介にあったとしてその屋敷に討ち入り、見事に仇討ちを果たす。これを脚色し、ドラマ化したのが「忠臣蔵」である。
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大石神社
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大正元年、大石内蔵助良雄はじめ四十七義士と萱野三平などと号祀して創建されました。境内には国指定史跡の大石良雄宅跡があり、長屋門や庭園が残されています。また、義士ゆかりの武具・書画などを展示している義士宝物殿や浅野公・四十七義士の木像が展示されている義士木像奉安殿もあります。
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大石邸長屋門
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この門は、浅野家筆頭家老大石内蔵助の一家三代が57年にわたり住んでいた大石屋敷の正面門長屋です。内蔵助の偉業を偲ぶ唯一つの建物です。内蔵助と主税の父子が朝夕出入りし、1701年(元禄14年)3月主君の刃傷による江戸の悲報を伝える早打ちが叩いたのもこの門です。1856年(安政3年)大修理され、昭和52年11月から翌年10月まで全面解体修理が行われました。1923年(大正12年)国の史跡に指定されました。
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近藤源八郎邸長屋門
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近藤源八郎は、甲州流軍学を修め、千石番頭(ばんがしら)の重職にあり、大石内蔵助の叔母にあたり、親戚関係にありました。源八の父・三郎左衛門正純(まさずみ)が赤穂城築城の縄張り設計を行っています。この門は、「源八長屋」の愛称で市民から親しまれ、大石邸長屋門の斜め向かいにあります。赤穂市指定有形文化財に指定されています。
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息継ぎ井戸
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江戸での浅野内匠頭による刃傷事件の第一報を知らせるため、1701年(元禄14年)3月14日の夕刻に赤穂藩士、早水藤左衛門・萱野三平が早かごで江戸を出発。赤穂城下に着いたのは3月19日の早朝でした。155里(約620km)の行程を4昼夜半早かごに揺られ続けた両人は、城下に入りこの井戸の水を飲んで一息ついたといわれています。以来、この井戸は、「息継ぎ井戸」と呼ばれています。
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浅野家と義士の寺・花岳寺
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禅の曹洞宗、本山は永平寺。赤穂藩祖浅野長直公によって1645年(正保2年)に建立された寺です。事変後は、永井家・森家歴代藩主の菩提寺となりました。境内には、四十七義士の墓・宝物館・義士木像堂などがあり、赤穂義士ゆかりの史跡として有名です。赤穂城の塩屋惣門を移築した山門は赤穂市指定文化財に指定されています。
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大石良雄仮寓地跡
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大石良雄仮寓地(かぐうち)跡は、1701年(元禄14年)の刃傷事件の後、城明け渡しの残務整理をする5月7日~6月25日の間、大石内蔵助と家族が仮住まいしたところだそうです。
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2020年9月2日水曜日
姫路藩の財政再建、名家老・河合道臣
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河合道臣(寸翁)
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江戸時代後期、財政難で苦しんでいた姫路藩主・酒井忠道は、当時の家老・河合道臣(どうしん・後の河合寸翁)に財政再建の命が下します。河合道臣は、質素倹約令を布く大々的な改革を行い、領民に米を無利子で貸し与えたり、低金利で生活資金を融資したりという画期的な金融政策を行いました。また、いざというときのために共有の米を保存する固寧倉(こねいそう)を姫路藩内に288ケ所設けられたそうです。現在、野里・東山・刀出等8か所に建造物が残っています。また、姫路城下の木綿業者らと共に「木綿会所(現在の広島銀行姫路支店前)」を作り、木綿を「玉川さらし」という姫路藩の特産品として、大坂(大阪)の商人を通さず、直接江戸で販売する方法を考案し、財政の立て直しを図りました。そのおかげで、藩の収入の7倍あった負債を27年で完済しました。
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木綿会所跡(姫路市綿町)
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河合寸翁像と寸翁神社
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一方、茶人として有名だった姫路藩家老・河合寸翁(すんおう:道臣)は、お茶席には欠かせない和菓子造りのため、姫路の菓子職人を江戸や京都に、また、南蛮菓子を学ばせるため長崎の出島に派遣しました。それが現在の姫路の菓子つくりの原点となり、姫路銘菓「玉椿(名付け親:河合寸翁)」や「播州かりんとう」の原型を作りました。このように、河合寸翁の功績は大きく、姫山公園内にある姫路神社に酒井家歴代姫路藩主とともに、寸翁神社として祀られています。享年75歳
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姫路銘菓「玉椿」
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2017年11月9日木曜日
天守物語
天守物語・あらすじ
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1917年(大正6年)、泉鏡花の戯曲の中でも屈指の名作といわれているこの作品は、白鷺城(姫路城)の最上階に異形の者たちが住むという伝説に由来。鏡花はこの伝説にその他の怪異譚(かいいたん)を巧みに織り交ぜて、美しい異界の人「富姫」と、この世の人間「姫川図書之介」との恋物語を描いています。坂東玉三郎監督・主演、宮沢りえ共演で1995年(平成7年)に映画化されました。2006年(平成18年)には、フジテレビ系列のTVアニメ「怪~ayakashi~」において「四谷怪談」「化猫」「天守物語」の3つの怪談の一つとしてアニメーション化されました。
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姫路城大天守
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白鷺城最上階の異界の主、天守夫人「富姫」が、侍女たちと語り合っているところへ、富姫を姉と慕う「亀姫」が現れ、宴が始まります。その夜、鷹匠・姫川図書之介(ずしょのすけ)は、藩主播磨守の鷹を逃した罪で切腹するところ、鷹を追って天守閣最上階に向かえば命を救うと言われ、天守の様子を窺いにやってきます。しかし、富姫に二度と来るなと戒められて立ち去りますが、手燭の灯りを消してしまい、再び最上階へと戻り火を乞います。すると富姫は最上階に来た証として、藩主秘蔵の兜を図書之介に与えますが、この兜から図書之介は賊と疑われ、追われるままに三度最上階へ戻ってきます。いつしか図書之介に心奪われた富姫は、喜んで彼を匿いますが、異界の人々の象徴である獅子頭の目を追手に傷つけられ、二人は光を失ってしまいます。
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播州皿屋敷
播州皿屋敷・あらすじ
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お菊神社
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室町時代末期、播州姫路が舞台となった「播州皿屋敷」、姫路にはお菊神社(十二所神社内)、姫路城内にはお菊井戸(姫路城の上山里丸広場)が現存します。この播州皿屋敷は、歌舞伎(1720年京都)や浄瑠璃(1741年大阪)、映画など数多く上演されています。
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姫路城・お菊井戸
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播州皿屋敷は、約450年前の室町時代末期、姫路城主・小寺家の家臣・青山鉄山が城主を毒殺し、城を乗っ取ろうと企てていました。それを察した姫路城の忠臣・衣笠元信(きぬがさもとのぶ)は、愛人のお菊を鉄山の屋敷の女中にし、鉄山の息子・小五郎から父の陰謀を聞き出すことに成功しました。この知らせを受けた元信は、鉄山の陰謀を阻止することができました。その後もお菊は、鉄山の屋敷で探り続けていましたが、鉄山の仲間・町坪弾四朗(ちょうのつぼ だんしろう)に気づかれてしまいます。美人のお菊に以前から好意を持っていた弾四朗は、「黙っている代わりに自分のものになれ」と言い寄りますが、お菊は聞き入れず、弾四朗に折檻(せっかん)されだします。それでも言うことをきかないお菊を憎らしく思い、ある日、お菊が鉄山から預かる「10枚揃わないと意味がない、家宝の皿」を一枚隠し、大事な家宝の皿をお菊がなくしたと罪を背負わせ、お菊を殺し、庭の井戸に捨ててしまいます。それから毎晩、井戸の底から悲しげな女の声で、「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚・・・」と皿を数える声が聞こえるようになります。これが「お菊井戸」です。
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絶世の美人だった「お菊さん」
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その後、「お菊さん」が絶世の美人だったという噂が広がり、恐々一目見ようと毎晩若い男たちが、皿屋敷の井戸に集まったそうです。
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