ラベル 播磨ゆかりの歴史上の人物 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 播磨ゆかりの歴史上の人物 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年2月16日日曜日

歌人「柿本人麻呂」

柿本人麻呂

柿本神社
「万葉の和歌三神」「三十六歌仙」の一人で7世紀後半、持統・文武朝に活動した第一人者の歌人です。「ともしびの明石大門に入らむ日やこぎ別れなむ家のあたり見ず」などの秀歌で知られ明石と深く繋がりがあり「柿本神社の祭神」となっています。
柿本神社
明石市人丸町1-26


2020年2月14日金曜日

山田錦発見者「山田勢三郎」

山田勢三郎

山田勢三郎は、東安田村(現・多可町中区東安田)生まれ。山田勢三郎さんが、1877年(明治10年)ごろ、自作田の中で偶然見つけた大粒の穂が酒造りに適した米「山田穂」を発見。その後、兵庫県農業試験場が別の品種「短稈渡船(たんかんわたしぶね)」と交配・改良を重ね、1936年(昭和11年)、日本一の酒米「山田錦」が誕生した。
山田勢三郎徳(しょうとく)碑
多可町中区東安田


2020年2月13日木曜日

三木城主「別所長治」

別所長治

戦国末期の武将。父は長勝。別所氏は赤松氏の一族で長治の曾祖父則治のころより、三木城を本拠に東播磨に勢をはった。1568年9月の足利義昭と織田信長入京のときには参戦し、義昭より御感を被ったという。1578年信長の命を受けた秀吉の軍勢に「三木の干し殺し」戦法に遭い毛利氏からの援軍も途絶えて、遂に籠城してから2年後の1580年城中の食糧尽き、家臣の助命を条件に降伏、自害した。
別所長治辞世の句:今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば
別所長治像
三木市上の丸町


2020年2月12日水曜日

詩人「坂本 遼」

坂本 遼

坂本遼(さかもとりょう)加東郡東条町(現・加東市)生まれ。関西学院大学英文科卒業。在学中、竹中郁と詩誌「羅針」を、草野心平の勧めで「銅鑼(どら)」を発行。1927年(昭和2年)の「たんぽぽ」は、播磨の風景・方言を取り込んだ詩集。戦後、竹中郁(いく)らと関西を中心に児童自詩運動を推し進め、「きりん」を発行。母子の絆をうたった代表作「おかん」や長編童話「きょうも生きて」、「こどもの綴方(つづりかた)・詩」、小説集「百姓の話」などがある。
坂本遼生家・詩碑
加東市横谷73-1


2020年2月11日火曜日

ラジオ体操考案者「大谷武一」

大谷武一

加西郡加茂村(現・加西市)生まれ。1904年姫路師範学校を卒業後、東京高等師範学校に進学。1913年同校卒業、翌年同校助教授。1917年文部省留学生として2年間渡米。シカゴ大学、ペンシルベニア大学で体育理論、生理・解剖学を学ぶ。帰国の途中、イギリス・フランス・ドイツなどヨーロッパを視察。1921年東京高等師範学校教授。1922年大日本体育学会設立し、ハンドボール紹介。1928年ラジオ体操第一を作る。1930年全日本体操連盟を創立(副会長)。1932年第10回ロサンゼルスオリンピック大会に体操チーム総監督として参加。その後、ハンドボールやソフトボール協会を設立。日本体育学会創立(理事長)。東京学芸大学教授、東京教育大学名誉教授。日本体育学会会長などを歴任。享年79歳。
1962年紫綬褒章授与。
1965年勲三等に叙され、旭日中綬章を授与。
加西市立賀茂小学校


2020年2月10日月曜日

加古川舟運の祖「阿江与助」

阿江与助

阿江与助(あえよすけ)は加古郡高村(現滝野町)生まれ。赤松氏の流れをくむ阿江家を継ぐ。1594年姫路城主・木下家定の命で、巨岩が横たわる加古川の闘龍灘(とうりゅうなだ)付近の開削に着手。さらに滝野の上流、丹波・本郷(現氷上町)まで改修し、瀬戸内から丹波の約50kmの通船を可能にし、この功績で滝野下流の舟運管轄権と舟座の元締め役を命じられた。
阿江与助像
闘龍灘
加東市上滝野


2020年2月9日日曜日

明治政府高官「大島圭介」

大島圭介

大島圭介(おおしまけいすけ)赤穂郡畑念村(現上郡町)生まれ。大阪で緒方洪庵らに学び、漢字・医学・蘭学・西洋兵法・英語を修め幕臣となる。榎本武揚らとともに函館戦争を戦い新政府に抵抗。敗戦で投獄されたが、学力、見識を評価され復活、明治政府に登用。工部大学校長、学習院院長、枢密顧問官など務めた。清国・朝鮮両公使として明治外交の表舞台に。
上郡町役場前・大島圭介銅像
上郡町大持278


2020年2月8日土曜日

哲学者「三木 清」

三木 清

三木清(みききよし)揖保郡平井村(現たつの市)生まれ。京都大学卒。法大教授。西田幾多郎・波多野精一に学び、欧州に留学してハイデッガーに師事。帰国後、ヒューマニズムの立場から著作活動を続け、若い世代へ大きな影響を与えた。1944年(昭和19年)共産党員をかくまり検挙、終戦直後獄死した。
著:「パスカルに於ける人間の研究」「哲学ノート」「人生論ノート」など。
たつの市の白鷺山(しらさぎやま)公園(たつの市龍野町中霞城)内の哲学の小径に建つ「三木清の歌碑」


2020年2月7日金曜日

詩人「三木露風」

三木露風

三木露風(みきろふう)たつの市生まれ。早稲田大、慶応大中退。1905年(当時16歳)処女詩歌集「夏姫」自費出版。早熟の詩才として出発。1907年「早稲田詩社」結成、1909年「廃園(はいえん)」で反響を呼び、北原白秋と並んで白露時代を築いた。歌曲にもなってよく愛唱された彼の詩はこの時期のものである。1910年「寂しき曙」、1913年「白き手の猟人」、1915年「幻の田園」など、叙情から宗教性を帯びて行ったが、19212年発表の「赤とんぼ」(1927年山田耕筰作曲)は今も愛唱される。
三木露風作詞「赤とんぼ」の歌碑と三木露風立像は、龍野公園内(たつの市龍野町下霞城)にある。
三木露風生家
たつの市龍野町上霞城101-3


2020年2月6日木曜日

女性解放運動家「冨井於菟」

冨井於菟

冨井於菟(とみいおと)は、たつの市生まれ。
生家は龍野の酒問屋。女性としてただ一人旧制龍野中(現:県立龍野高)入学、主席で卒業。京都で男女同権論者の岸田俊子に師事。間もなく上京し、自由民権思想の景山(かげやま)英子と知り合い、女性解放の草分けとなる。後にキリスト教に入信、1885年(明治18年)民間女子教育校・明治女学校の創設とともに教員となるが、19歳の時同僚を看護中感染し病死。
兵庫県立龍野高等学校


2020年2月5日水曜日

作家「田辺聖子」

田辺聖子

1928年(昭和3年)、大阪生まれ。樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学)国文科卒業。1958年(昭和33年)「花狩」でデビュー、1964年(昭和39年)「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)」で芥川賞、1987年(昭和62年)「花衣ぬぐやまつわる……わが愛の杉田久女」で女流文学賞、1993年(平成5年)「ひねくれ一茶」で吉川英治文学賞、1994年(平成6年)菊池寛賞を受賞。
1995年(平成7年)紫綬褒章受章
2008年(平成20年)文化勲章受章
著書「すべってころんで」の中に「このあたり福知渓谷といって、清い流れが岩をかんで、しぶきを散らし、両側の緑が濃く、風も真っ青に感じられる、眺望絶佳の場所である」と賞賛されています。また、福知渓谷に別荘があり、住民と約40年間交流があったそうです。享年91歳
田辺聖子文学碑
宍粟市一宮町福地


2020年2月4日火曜日

作家「佐多稲子」

佐多稲子

佐多稲子(さたいねこ)、長崎生まれ。播磨造船所(現・IHI)勤めの父とともに相生市に居住。その頃の体験を綴ったのが代表作「素足の娘」。1928年、「キャラメル工場から」を発表し作家となる。7歳で母を亡くし、その苦しい少女期をつづった作品が多い。代表作「くれない」や「牡丹のある家」、「時を佇(た)つ(川端康成文学賞受賞)「樹影」「夏の栞」など
中央公園の佐多稲子文学碑
相生市那波南本町9


2020年2月2日日曜日

新聞の父「ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)」

ジョセフ・ヒコ

ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)は、加古郡阿閇村(現・播磨町)生まれ。幕末に活躍した通訳・貿易商。1850年「栄力丸」で江戸を出航、遠州灘で遭難。52日間漂流し、アメリカ船「オークランド号」に救助され、翌年サンフランシスコ着。その後は海員や学校生活をし、1858年アメリカに帰化し「ジョセフ・ヒコ」と名乗り、日系アメリカ人第1号となった。1859年T・ハリス公使の通訳として神奈川に帰着。1862年貿易業を営む。1864年6月日本最初の民間新聞「海外新聞」を創刊。その後、通訳や大蔵省に勤務。享年61歳。
ジョセフ・ヒコ生誕の地記念碑は「播磨町本荘1丁目9」に建立されている。
播磨町公民館(播磨町東本荘1丁目540)の正面玄関の脇に「ジョセフ・ヒコ銅像」がある。