岩屋神社
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この地方の鎮守神として信仰が厚く、歴代城主も守護神として参拝したと言われています。古くから伝わる海上渡御(とぎょ)の夏祭り「明石浦のオシャタカ舟」(7月第3日曜日開催)があります。
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明石浦のオシャタカ舟
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龍王山・長林寺
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「浜薬師」の名で親しまれています。715年~717年(霊亀年中)に藤原不比等の第3子宇合が創建したと伝えられています。境内には「龍燈(りゅうとう)の松」があり、天然記念物の指定を受けて保存されてきました。現在の松は、2代目だそうです。
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法寫山・善楽寺
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法寫山・善楽寺(ほうしゃざん・ぜんらくじ)は、戒光院(かいこういん)・実相院(じっそういん)・円珠院(えんじゅいん)の総称で、平安末期には17カ院あり、明石川の東岸一帯に七堂伽藍がそびえていたそうです。明石では一番古いお寺といわれ、法道仙人によって創建されました。焼失したのを再興したのが平清盛で境内には、清盛の供養塔といわれる石造五輪塔があります。この善楽寺周辺が明石における源氏物語の史跡としてよく知られています。戒光院には、5代藩主・松平忠国が建てた「光源氏古跡明石の浦の浜の松」の石碑、「明石入道の碑」、円珠院には、明石城が築城される際に、明石の町割りをした剣豪・宮本武蔵が作庭したといわれる枯山水の庭園があります。この庭園は、ひょうたん型を中心とした池泉観賞式庭園となっています。
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平清盛の供養塔
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光源氏古跡明石の浦の浜の松
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明石入道の碑
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池泉観賞式庭園
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蔦の細道・無量光寺
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無量光寺(むりょうこうじ)は、光源氏が月見をしたお寺として知られ、境内に源氏屋敷や月見の松もあったといわれています。かつてこの辺りはアシや竹が生い茂り、大薮と呼ばれていました。人もあまり通らず、寺の土塀が連なる辺りは、竹に蔦が絡まりあっていたそうです。山門の彫刻は、名工・左甚五郎(ひだり じんごろう)作と言われています。無量光寺の山門前の「蔦の細道」は光源氏が「浜の館」から明石の上が住む「岡部の館」へ通った道と言われています。
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蔦の細道の碑
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下記の地図でご確認ください。
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2017年12月21日木曜日
源氏物語とその史跡を訪ねて 2
2017年11月5日日曜日
江井ケ島港と西灘周辺を訪ねて
江井島港
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高僧・行基が築港したといわれ、摂津・播磨の5泊の一つ「魚住の泊」でした。三木合戦時には、毛利軍から別所方への兵糧補給港でした。
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西灘酒蔵群
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山電・西江井島駅の南一帯は、良質の井戸水と「谷米」という酒米を原料とし300数十年も前から、銘酒「西灘」の酒どころとして知られていました。現在は酒蔵も減り、昔の面影が失われつつあります。
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瑞雲寺
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瑞雲寺(ずいうんじ)は高僧・行基が建立したと言われ、大日如来像を本尊とした高野山・真言宗のお寺です。梁田蛻巌(やなだ ぜいがん:江戸中期の漢詩人)の軸物や明石城主・松平直常から贈られた狩野探幽(かのう たんゆう:江戸初期の絵師)の軸などがあります。
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住吉神社
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5月上旬には本殿裏の藤が咲き、毎年5月1日「能」が上演されます。この神社には、兵庫県指定文化財の石燈籠、明石市指定文化財の能舞台・楼門・円山応挙(まるやま おうきょ:江戸後期の絵師)の絵馬(神馬の図)・石田遊汀(いしだ ゆうてい:江戸後期の画家)の絵馬(加茂競馬の図)・大和型和船模型などがあります。
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薬師院
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730年(天平2年)、行基の開祖と言われ、明治初期から植えられた牡丹が4月下旬になると境内いっぱいに咲き誇り、訪れる人の目を楽しめています。その数は50種・2,000株以上といわれ、地元では「ぼたん寺」と呼ばれています。
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浜西のヒメコマツ
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ごくまれな左巻捻幹のヒメコマツをアイグロマツに接木したもので、樹齢は約300年。兵庫県の文化財に指定されています。
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瑞應寺
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瑞応寺(ずいおうじ)は、地元の人に「大寺」と呼ばれているお寺で、境内には、樹齢400年を越えるソテツ(明石市指定天然記念物)や二見漁村の困苦を救った安永三義人の墓、安産地蔵尊、仏足石などがあります。
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観音寺
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二見町最古のお寺で、本尊の観世音菩薩は行基の作と伝えられています。大坂冬の陣で一番槍の武功をあげ、大阪城の石垣改修にあたり巨石の切り出しを行った・横河重陳(よこがわ しげのぶ)のお墓(明石市指定文化財)があります。
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威徳院
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威徳院(いとくいん)は、高僧・行基の開祖と言われています。昔、お寺の南の浜に観音堂がありました。沖を通る船は帆を下げて敬意を表したので、「帆下げ観音」と呼ばれています。この観音像は、ここ威徳院に祀られています。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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明石城跡とその周辺の文化財を訪ねて 2
本松寺
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本松寺(ほんしょうじ)は、1691年(元禄4年)明石藩家老・斉藤甚左衛門(じんざえもん)が中心となって、船上にあった本正寺をこの地に移したと言われています。このお寺には、宮本武蔵が作庭したと言われる枯山水(かれさんすい)の庭があります。武蔵は初代明石城主・小笠原忠真(ただざね)のもとで城下の町割りを担当していました。善楽寺の円珠院(えんじゅいん)にも武蔵作の庭園が残っているそうです。本松寺の庭は、大小の築山(つきやま)・大滝・小滝・瓢箪(ひょうたん)型の池・亀島などを配置し、見る角度によって印象が変わるよう工夫された庭園です。
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月照寺
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人丸山上の月照寺(げっしょうじ)は、1618年(元和4年)明石城築城に伴って、柿本神社とともにこの地に移ってきました。柿本人麻呂は、歌人だけでなく朝廷からも崇敬を受け、寺内に国の重要文化財に指定されている「桜町天皇宸筆(しんぴつ:天皇直筆)と一座短籍(たんざく)」や明石市の指定文化財「三十六歌仙(かせん:平安時代の和歌の名人36名にこと)と和歌式紙」などがあります。境内には人丸観世音菩薩像が安置され、人麻呂の和歌「明石大門」の歌碑もあります。「ともし火の明石大門に入らむ日か漕ぎ別れなむ家のあたり見ず」これは大和から明石海峡を西へ下っていくときの歌で、振り返っても都も家族の家も見えない、という不安さと寂しさが入り混じった人麻呂の心中が偲(しの)ばれます。月照寺の重厚な山門は、秀吉が伏見城の薬医門(やくいもん)を、1883年(明治16年)ここに移築されました。明石の指定文化財になっています。
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柿本神社
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地元では「人丸さん」として親しまれている柿本(かきのもと)神社は、歌仙・柿本人麻呂を祭神としています。学問・文学の神様として崇敬(すうけい)されているだけでなく、「人麻呂」の名から「ヒトマル」→「火止まる」で火除け、「人生る」で安産の神として信仰されています。887年(仁和3年)月照寺(げっしょうじ)の僧・覚証(かくしょう)が、人麻呂の霊が明石に留まっていることを感じとり、月照寺の裏に祠(ほこら)を建てて祀ったのが始まりだそうです。その後、明石城の築城で月照寺と共に現在地に移されました。1723年(享保8年)正一位・柿本大明神の神位神号(しんいしんごう)がおくられました。柿本人麻呂は、大和⇔任地の西国を何度も往来したとされ、明石大門(明石海峡)の和歌も残されています。境内に、「播州明石浦柿本太夫祠堂(しどう)碑」があります。台座に亀・碑面には双龍が施され、通称「亀の碑」と呼ばれるこの碑は、1664年(寛文4年)明石城主・松平信之によって建てられ、1712文字からなる人麻呂伝記となっています。この碑文を誤らず読み上げると、台座の亀が動き出すといわれています。他にも、盲杖桜(もうじょうざくら)やお筆柿(ふでがき)などの伝説があります。
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明石市立天文科学館
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東経135度子午線上に建つ「時と宇宙の博物館」。子午線のまち・時のまちに触れ、星空・宇宙に親しめ、稼働期間「長寿日本一」のプラネタリウムによる星空案内など、大人から子どもまで楽しめます。14階展望室から明石海峡大橋と瀬戸内海が一望できます。
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亀の水
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人丸山から湧き出る霊水のことです。播磨三名水の一つで、かつて「長寿の水」と言われていました。ここにある手水鉢は常陸国の目明し(目明し:役人の下で犯人捜査・逮捕のため働いていた者)・飯塚喜兵衛宣政(のぶまさ)が寄進しました。
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長寿院
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天文科学館のすぐ南にある長寿院(ちょうじゅいん)は明石城藩主の菩提所です。本堂の前の石灯篭と屋根瓦の葵(あおい)の紋に、このお寺の歴史と威厳を感じます。長寿院は、8代藩主・松平直明の父、松平直良が越前(福井県)木本(きもと)城主の時に建立したもので、直明が1682年(天和2年)明石入りしたときに木本から移されました。当時は寺領として70石を与えられ、住職は紫衣や明石城内での下駄履きを許されていたようです。8代藩主・松平直明から15代藩主・松平斉宜(なりこと)までのお墓とその家族のお墓があります。墓域中央には、16代藩主・松平慶憲(よしのり)が建てたとされる竜の彫刻が施された豪華な御霊屋(みたまや:先祖の霊を祀っておく建物)があります。また、明石藩家老・美濃部(みのべ)家の門柱が残されています。
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両馬川旧跡
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平忠度(ただのり)が岡部六弥太に追いつかれ、二人の馬が川を挟んで戦ったので「両馬川」と名付けられました。1184年(寿永3年)一の谷の戦で敗れた平家軍の通過地です。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2017年7月12日水曜日
明石海峡大橋と大蔵海岸公園周辺を訪ねて
明石海峡と明石海峡大橋
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明石海峡は、明石市と淡路島の間にあり大阪湾と播磨灘を分かつ海峡で幅約4km
、最大水深135m、潮流最高7kmという海の難所として有名です。早くから本土と四国を結ぶ四国街道の通過地点として、1954年明石~岩屋間にフェリーが開通。1998年には、本州四国連絡橋の最長吊橋・明石海峡大橋が完成。ここ明石海峡は、明石鯛、タコ、イカナゴの漁獲で名物。
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<明石海峡大橋>
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明石海峡大橋は、神戸市垂水区舞子と淡路市岩屋を結ぶ、橋長3,911mの世界最長の吊橋で、本州四国連絡橋の一つです。建設費は約5,000億円。主ケーブルを支える主塔と主塔の間 (中央支間長) は1,991mあり、1988年(昭和63年)5月に着工し、1998年(平成10年)4月5日に開通しました。上部は毎秒80mの暴風とマグニチュード
8.5の地震に耐えられるように設計されています。
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大蔵海岸公園
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明石海峡大橋が目の前に見えるのが「大蔵海岸公園」です。ここには、海洋冒険家・堀江謙一さんの「モルツマーメイド2号」が展示され、ヨットの帆をイメージした休憩所や霧が出てくる「日時計」などがあります。夜には、シーズンごとに変わる明石海峡大橋のライトアップが楽しめます。
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明石市立中崎公会堂
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1911年(明治44年)に建設された中崎公会堂は、もともと海岸沿いに建ち、こけら落としには、あの「夏目漱石」が講演されたそうです。この公会堂は、奈良~鎌倉時代の建築様式を取り入れ、木造トラス構造を採用しています。2012年(平成24年)、登録有形文化財(建造物)に登録されました。
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中崎遊園地ラヂオ塔
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1937年(昭和12年)明石海峡に面した中崎遊園地内に建設されました。当時、高級品だったラジオを普及させようと公園や神社の境内などに建てられ、受信機とスピーカーが取り付けられていました。全国に460基あったそうで、現在24基が残っているそうです。2013年(平成25年)、国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。
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