2016年12月28日水曜日

揖保川と瀬戸内海の廻船で栄えた「網干」を訪ねて

網干について

1889年(明治22年)興浜・余子浜・大江島・浜田と新在家村の一部が合併し網干町となりました。1946年(昭和21年)姫路市と合併。網干の由来は、魚吹八幡神社によると720年(養老4年)の放生会(ほうじょうえ:捕まえた生き物を買い集めて逃がしてやる儀式のこと)に、氏子の漁師は網を干して参拝したことから「網干祭」といわれ網干と称したそうです。播磨国風土記によると網干は古くから栄えた地であったそうです。江戸時代の網干は、姫路藩領・龍野藩領(新在家)・丸亀藩(興浜)・幕府領(余子浜)に分かれていました。姫路の網干港は揖保川の河口で高瀬舟や筏(いかだ)と瀬戸内海の回船によって栄えた町で、江戸時代に出された「播磨鑑(かがみ)」に「網干は福人の住む所」と書かれています。また、ここ網干は古い神社やお寺など、文化財が多く残っています。

魚吹神社

魚吹神社(うすき)の祭神は、息長足姫命、品陀和気命、玉依比売命。創建時期は不明。平安時代末期に石清水八幡宮の別宮となり、魚吹八幡神社と呼ばれるようになり、網干津にあるので「津の宮」とも呼ばれています。魚吹八幡神社の秋祭りは、「提灯祭り」といわれています。提灯の列が神社の楼門にさしかかったとき、互いの提灯を叩き合い「提灯練り」が始まります。若衆の叫びと群衆のどよめき、竹を打ち鳴らす音が激しさを増し、祭りは最高潮となります。
提灯練り
姫路市網干区宮内193

誠 塾

誠塾(まことじゅく)は、林田藩儒学者・河野鉄兜の弟・東馬が、1868年(慶応4年)に設立した私塾で稲香村舎(とうこうそんしゃ)とも呼ばれています。1912年(明治45年)東馬の死とともに休学。戦後再開されましたが、1963年(昭和38年)閉塾。現在、網干郷土資料館として利用されています。

大覚寺

古くは余子浜村にあった釈迦堂が始まりといわれています。1233年(天福元年)に真言宗の光接院に改称。1534年(天文3年)戦火により焼失。1556年(弘治2年)現在地に移り、浄土宗の大覚寺に改宗。当時、境内は東西200m、南北100mあり海に面していたそうです。国・重要文化財や兵庫県・姫路市の指定文化財も多数あり、年2回大覚寺秘宝展が開催されます。
姫路市網干区興浜151

丸亀藩陣屋門

龍野藩主・京極家が、四国・丸亀に移封されても興浜や浜田の地は、丸亀藩の飛地となり、京極家の領地でした。この興浜の陣屋には、郡代や郡奉行が派遣され、藩の屋敷などがありましたが、1870年(明治3年)取り壊されました。この建物は老朽化した陣屋門を参考に、1987年(昭和62年)改築されたものです。
姫路市網干区興浜

網干の古い町並み

興浜公園周辺の古い町並み
境橋跡

外国人技術者住宅

外国人技術者住宅(ダイセル異人館)は、1909年(明治42年)日本セルロイド人造絹糸㈱(現・ダイセル化学工業)網干の工場建設に当たり技術指導者として英国のジェームス・L・クリーン氏やドイツから迎えました。その宿舎として建てられました。
姫路市網干区新在家1239

網干の浜辺

なぎさ公園
網干・ヨットハーバー
姫路市網干区新在家246-2

下記の地図で所在地をご確認ください。



2016年12月27日火曜日

盤珪禅師創建の「龍門寺」とその周辺を訪ねて

播州名物茶席の天徳山・龍門寺

鐘楼
不生庭
盤珪禅師(ばんけいぜんじ)が丸亀藩主・京極家の保護と網干の豪商・佐々木家の援助を受け、1661年(寛文元年)創建した寺で、播州屈指の禅宗寺院です。当時、龍門寺派の寺院は全国で約百ケ寺に及び、僧1,300人・善男善女約6,000人の参拝があり、浜田村の農家の納屋にまで泊まったと伝えられています。今でも寺内には20余の堂塔寮舎(どうとうりょうしゃ)があります。盤珪は浜田村で生まれ17歳で出家、全国を修養し、難解な禅をやさしく説き多くの信者を得ていました。1764年(明和元年)火災にあいますが、それ以前の建物も多く、17棟が姫路市指定文化財に指定され、堂内にも県や市の指定文化財が多くあります。
献茶式法要
献茶式法要
毎年4月3日・4日
直径50cmの大茶椀を隣席からの助けられていただく、播州の名物茶席として広く知られています。

☎ 079-272-1276
姫路市網干区浜田812

盤珪禅師生誕の地・義徳院

盤珪禅師が生まれたところです。母・尼公(にこう)が入寂(にゅうじゃく)し創建しました。
盤珪禅師の父は医師で儒者として志の高い人でしたが、禅師が11歳のとき逝去され、母一人で育てられたそうです。母・妙節尼(みょうぜつに:後に改名)は92歳までここに住まれていたそうです。戦後までは尼寺として続き「義徳庵」と称していましたが、戦後の寺訓により「義徳院」に改称。庭内には、産湯の井戸や父・兄が医師として使用した当時の医療器具も残っているそうです。
姫路市網干区浜田785

不徹寺

不徹寺(ふとくじ)は、1688年(元禄元年)嶺雲貞閉比丘尼(れいうんていかんびくに:丹波柏原生まれ、田捨女(でんすてじょ)の法号)が創建しました。当時捨女は、元禄の4俳女(女流俳人)・古今俳譜女三十六俳仙に数えられるほど高名でした。41歳の時、夫が死去。剃髪(ていはつ:頭髪を剃ること)し、浄土宗の尼僧として上京。盤珪禅師に帰依(きえ)し、網干に移り、貞閉(ていかん)に改名。66歳で死去されました。貞閉は、「貞門六俳仙(松永貞徳門下の六人の優れた俳人)」に数えられ永久に讃迎(さんぎょう:ほめたたえてあおぐこと)された女性で、郷土の誇りとして今でも伝えられています。六歳で詠んだ「雪の朝」(雪の朝、二の字二の字の、下駄のあと)の句は全国で知られています。網干に移ってからは、尼衆を指導し、不徹庵定規や盤珪説法、自伝が遺されています。特に、貞閉庵自作の歌解説の筆跡の美しさには心をうたれます。
田捨女の子孫
田捨女の子孫は、著名人も多く財界人の田艇吉(でんていきち)、枢密院(すうみついん:天皇の諮問機関)顧問官・閣僚を歴任した男爵の田健治郎、参議院議員の田英夫さんらがいる。
☎ 079-272-0823
姫路市網干区浜田632

下記の地図で所在地をご確認ください。



2016年12月22日木曜日

相生の古い町並みと大嶋城跡を訪ねて

相生の由来

大嶋城(後記参照)の城主となった海老名氏(相模国:さがみのくに:現在の神奈川県海老名市出身)が、浦名として呼ばれていた「おお」に、相模国生まれだったことから「相生(あいおい)」と名付けられたそうです。「造船のまち」として知られている相生市は、年間を通じて瀬戸内海特有の穏やかな気候風土に恵まれ、瀬戸内海国立公園・西播丘陵県立自然公園など自然景観に恵まれたところです。

万葉の岬

国道250号(通称:七曲り)をドライブする方の休憩地としても賑わっています。晴れた日には、東は明石海峡大橋、南に四国の稜線、西は小豆島まで見渡せできます。ここから眺める朝日・夕日も見事なものです。瀬戸内海が180度展望できる絶景スポット。

大石良雄別邸跡

大石良雄が備中・松山城の城受取りの功により、浅野内匠頭より相生村を私領として賜り、この地をよく来遊していたため、地元では「大石さんの別邸」といわれています。
相生市相生2丁目

相生地区の古い町並み

佐多稲子が初めて書き下した長編小説「素足の娘」は、1940年(昭和15年)新潮社より刊行されたベストセラー作品です。この作品は、佐多さんが14歳~16歳(大正7~9年)にかけて、父が播磨造船所に勤めていた際の生活を描いたモノです。この相生地区は、酒蔵や魚屋さんが建ち並び、その頃の面影を今も残しています。
相生市相生町

相生ボート公園

普段は波静かな相生湾に面した、国道250号沿いにある公園です。ペーロン祭の際には、海上花火大会・ペーロン競漕の観覧席としてにぎわいます。

道・海の駅、あいおい白龍城

相生のまつり「ペーロン祭」がその名の由来。相生湾にエンペラーオレンジの鮮やかな建物で、海の駅を併設した道の駅です。「ペーロン温泉」や特産品売場・和風レストラン・ペーロン祭で使用されるペーロン艇を格納した「ペーロン海館」があり、家族揃って楽しめます。
<営業時間>
9時30分~17時30分
定休日:無休

☎ 0791-23-5995
相生市那波南本町8-55

相生市歴史民俗資料館

1985年(昭和60年)に設立、1993年(平成5年)に改装オープンしました。館内は、歴史と民俗の2つのコーナーからなり、「歴史コーナー」は古代から相生が、中世東寺領矢野荘と呼ばれた頃の紹介、近世の相生、近・現代の相生の4ブロックから構成され、国指定史跡(赤松氏城跡)感状山城跡の出土品を展示しています。また、「民俗コーナー」には、生活用具・生産用具・信仰資料などが展示されています。
<開館時間>
10時30分~14時30分
休館日:毎週月曜日
入館料:無料

☎ 0791-23-2961
相生市那波南本町11-1

大島城跡

大島山は、相生湾に浮かぶ美しい離れ島でした。赤松氏が船橋をかけて築いた城は、「別名・浜御殿」と呼ばれるほど美しかったそうです。1336年(建武3年)、下司職(げししき:現地で実務を取っていた下級職員のこと。)だった7代・景知は、赤松円心に属し、弟の詮季や同族泰知と共に白旗城に立て籠もって新田義貞軍と戦いに戦功をあげましたが、留守中の大島城は、新田軍に焼き落とされたそうです。1710年(宝永7年)前川新右衛門が那波新田を開墾した際に陸続きとなったそうです。大島山は藤の名所として知られ、当時の武将などが「藤見の宴」に興じたといわれています。
住吉神社
善光寺
現在、頂上には住吉神社と善光寺、地蔵堂、桜公園がありますが、残念ながら、城の遺構は残っていません。

神崎与五郎孝子の井戸

赤穂義士・四十七士の一人、神崎与五郎が一緒に暮らしていた母の目の病を治すため、毎日無心で祈願していると「井戸水で目を洗うよう」お告げがありました。与五郎は、早速、母の目をその井戸水で洗ったといわれています。
相生市那波本町17-13

ど根性大根大ちゃん生誕の地

2005年(平成17年)アスファルトを押しのけて育ち、その「ど根性」ぶりが話題となった「ど根性大根・大ちゃん」の生誕の地です。その後、折られたり、栄養不足になったりと数々の困難を水耕栽培や芽の培養を経て、元気を取り戻しています。
相生市那波野2丁目11
山陽新幹線高架下

下記の地図で所在地をご確認ください。