松原八幡神社の氏子地域
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松原八幡神社の氏子地域とは、東山・八家・木場・宇佐崎・中村・松原・妻鹿の7地域のことです。
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灘のけんか祭り
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松原八幡神社・御旅山御旅所
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灘のけんか祭りは、毎年10月14日・15日の2日間行われる松原八幡神社の秋季例大祭のことで、一の丸・二の丸・三の丸からなる3基の神輿をぶつけ合わせる神事と、旧7村の絢爛(けんらん)豪華な屋台が激しく練り競う勇壮な屋台練りのことです。この祭りは、「松原八幡神社・秋季例祭風流」として、兵庫県と姫路市の指定重要無形民俗文化財に指定されています。
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763年(天平宝字7年)創建。現在の社殿は1718年(享保3年)氏子によって造営。楼門は姫路市指定文化財、打刀拵(うちがたなこしらえ)は兵庫県文化財に指定されています。
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<拵とは>
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拵(こしらえ)とは、刀装の形式のことで、刀剣を携帯し、使用しやすくするための付属装置全体を刀装、その部品を刀装具と言います。
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東 山
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灘のけんか祭りは、東山屋台の宮入りから
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東山(ひがしやま)は、松原八幡神社の東、大日山の麓にあたることから名付けられたといわれています。灘のけんか祭りは、14日の宵宮・15日の本宮とも東山屋台の宮入りから始まります。屋台に先立ち宮入りするのが三種の獅子。魔除けの任を負う「露払いの荒舞(あらまい:雄獅子)」、五穀豊穣を願う「神楽(かぐら)の地舞(ちまい:雌獅子)」、それらと対照的な豪快かつ勇壮な「毛獅子の舞」が要所で奉納され、特に本宮のお旅山で雄獅子、毛獅子が屋台の先頭で舞う姿は大観衆の注目を一堂に集めます。お旅山への神官渡御の際に先頭に立って進む人々のうち、白装束の神主姿の一団も東山の人達です。これは、東山が松原八幡神社の宮元であるからで、それゆえ祭りの重要な役割を古くから担っているのです。宮元であるということは、神社拝殿の御神燈や神輿に吊るされた提灯、本殿に立てられた祭礼旗に入れられた「東山村」の銘にも象徴されています。そもそも宮元とされるのは、三木の別所氏に社殿を焼き打ちされ、秀吉に社領を減らされ、生活が維持できなくなった神職(しんしょく)の大部分が東山に移り住んだことに由来しています。東山の紋所は、もともと「菊紋」を使っていましたが、明治になり「菊紋」は皇室の紋章のため乱用を禁止するとのお達しが出されました。そのため、苦心の末考え出されたのが「千成瓢箪(せんなりびょうたん)」です。これは、秀吉の馬印にちなんでヒノキを十二の瓢箪に彫刻し、漆塗りに金箔を張ったもので、1900年(明治33年)以来百年に渡り、東山のシンボルマークとして大切にされています。
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八 家
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変幻自在、少数精鋭の練り上手
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八家(やか)は、松原八幡神社の東に位置する戸数四百余の、旧七カ村で一番小さな町です。それだけに、こと屋台練りにかけては絶対に他町には負けたくないという意識が強く、そのバイタリティは必然的にチームワークの良さとなって現れています。八家の練り上手は、お旅山山頂まで屋台を一度も降ろさずに登ったことで実証済みです。また、楼門前での練り合わせも、決して屋台を落とさない練り子達に、他町から「八家には敵わない」とまで言わせるほどです。練り子全員が「屋台を落とせば八家の恥」という意識を伝統として受け継いでおり、棒端(ぼうばな)・太鼓打ち・練り子の三位一体となった八家ならではの練り絵巻にご注目ください。
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木 場
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屋台の原型は、木場から誕生
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木場(きば)は「木庭の泊」と和歌で詠われたとおり、約900年の昔から港町として栄えてきました。当時は海運業に携わる人が多く、遠近各地を往復して様々な風物に接し、新しいものを灘地区に導入する役割を果たしてきました。そのため、神輿屋根型屋台をこの祭りに初めて登場させたのが「木場」と伝えられています。海岸の「小赤壁」は、平成9年「せとうち風景三十選」に選ばれています。屋台の前後で燦然(さんぜん)と輝く紋所は、塩の積み出し港として栄えた木場港をイメージした「菊水紋」です。江戸時代は菊の紋でしたが、明治維新後、皇室の紋でもある菊紋の乱用禁止令が出されたため、菊花と流水を組み合わせられました。屋台を先導するのは「木場港」と刺繍された大幟(のぼり)。他町の大幟は「旧○○村」となっていますが、木場だけは港町を象徴するために守り継がれています。大幟の後ろで元気に躍動する二十本の「お迎え提灯」も名物です。他を寄せ付けぬ独断場の「一体練り」、宮入り時の松原八幡神社の楼門・拝殿前でしか見ることのできない「木場のひとつ太鼓」も見どころです。
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宇佐崎
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天に由来する五つの守護神
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室町時代から塩田を中心に栄えてきた宇佐崎(うさざき)は、近年、南部と北部で土地区画整理事業が完工したことにより、南部は工業地帯、北部は新興住宅地と町並みが様変わりし、全戸で1,800戸にまで人口が増えました。これだけの大所帯になると、ともすれば地域住民のコミュニティが崩れ、バラバラになりがちですが、宇佐崎の若者達は15年前から「六盛会」を結成し、年数回の親睦会を開催することで、練り子をはじめ棒端・太鼓・大幟が一体となった、元気いっぱいの祭りを開催しています。
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中 村
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貴婦人は青いシデの海に舞う
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松原八幡神社の東に隣接する中村(なかむら)は、松原八幡神社を護持していた八正寺の寺家(じけ)が多く住んでいた歴史のある町です。近年は北部地区の開発によって人口が急増、全戸で1,200余戸にまで人口が増えました。先代屋台は1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催を記念して作られ、15年間町の宝として大切にされてきましたが、年々大きくなる若者の体格と合わなくなってきたため、住民の総意で1979年(昭和54年)新調されました。それまで、神輿屋根型屋台の屋根高が浅いのが一般的でしたが、この時、時代にマッチした形状にしようと、思い切って屋根を20㎝深くしました。この屋根は評判も上々で、その美しさは「貴婦人のよう」と称賛されました。それだけに練り子は誇りに思って担いでいます。
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松 原
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悪霊を払い清める獅子屋台
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松原(まつばら)は、江戸時代からふすま釘・船釘などの産地として知られていましたが、近年は鎖・ナット・マッチの地場産業が盛んで、2,000戸を越える旧7カ村最大のこの町で、松原八幡神社のお膝元に位置するために、祭りの中心的役割を果たすのも「松原」です。本宮の日、お旅山への渡御では古くから露払い役を務めて、その先頭を切るのが獅子屋台です。大観衆で埋め尽くされた広畠に「テ、テン、ツ、トン」とテンポよく響きわたる太鼓の音調から「てんてんつき」という愛称で親しまれています。1996年(平成8年)、地域のシンボルを将来に残そうという環境庁の「日本の音風景百選」に選ばれています。この獅子屋台が宵宮の神社前と本宮の広畠で暴れまわるシーンは祭りの見どころの一つです。太鼓に合わせて威勢よく歌われる囃子(はやし)、空中高く差し上げられたかと思うと次の瞬間には地面に叩きつけられる。観衆からは悲鳴にも似た歓声が沸き起こるが、それでも乗り子は太鼓を鳴らし続ける。悪霊を払い清め、祭りが無事進行できるようにとの願いを込めての荒業です。
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妻 鹿
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大地を揺るがす豪快な胴突き
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妻鹿(めが)は昔、遠洋漁業の基地として下関市と肩を並べていましたが、魚市場の移転など、時代とともに企業の進出が著しく、エネルギー拠点へと変化しました。灘のけんか祭りは、昭和40年代中頃までは、「妻鹿のけんか祭り」と呼ばれていました。今でも妻鹿の人々は「祭りは、妻鹿を差し置いては語れない」と胸を張ります。その心意気を表すのが「胴突き」で、練り子全員が一斉に両腕の前腕部で屋台の担い棒を支え、数回地面に落とし弾みをつけ、その弾みを利用して一気に肩に担ぎ上げるという独特の練り上げ方です。屋台を水平に上下し、地面に落とした時に起こる「ズシン」という地響きは強烈です。しかし、あまりの激しさが屋台に与えるダメージは大きく、彫刻や金具が吹き飛ぶこともしばしばで、祭りごとの修理が絶えません。そのため、骨組みに鉄製の輪や棒・ボルト・ナットなどで補強を施しているから7カ村で最も重い屋台といわれています。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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