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2017年11月13日月曜日

源平合戦の地・三草山と県立播磨中央公園を訪ねて

三草山

ここ三草山(みくさやま)は1184年、源義経と平資盛(すけもり:平清盛の嫡男(ちゃくなん)・重盛の次男)が戦ったところです。田代信綱(たしろのぶつな)が「明日の合戦となれば、平家の軍勢は増すので、数の上で有利な今、夜討(よう)ちをかけるべきです」と進言、義経はそれを受け入れ、夜討ちを決行しました。夜討ちを予想していなっかた平家軍は武具を解いて休息しており、源氏軍の夜討ちにあわてふためき敗走、あっけなく源氏の勝利となりました。現在は、畑・三草・鹿野(かの)と3ヶ所に登山道がつき、山頂には京都北野天満宮から勧請した三草山神社があり、標高423mの山頂からは、明石海峡大橋や淡路島が一望できます。
加東市上三草1136-5

上鴨川住吉神社

この神社の神事舞(しんじまい:神事として行われる舞)は、厳格な世襲的宮座(みやざ:神社の氏子の神や祖先を祀る組織)制度に支えられ、7世紀の永きにわたって伝え続けられてきた神事芸能だそうです。
加東市上鴨川571

闘竜灘

闘竜灘(とうりゅうなだ)は、加東市滝野町上滝野にある名勝です。加古川の中流に位置し、川床は奇岩(きがん)・怪石(かいせき)が多く、その岩に阻(はば)まれた川の流れは激流や滝となっており、飛びアユの名所として知られています。闘竜灘の由来は、巨竜の躍動に似た風景を、幕末の詩人・梁川星巌(やながわ せいがん)が七言絶句(しちごんぜっく)に詠(よ)んだことから有名になりました。毎年51日には日本一早く鮎漁が解禁されます。
加東市上滝野283

五峰山・光明寺

五峰山・光明寺(ごぶさん・こうみょうじ)は、高野山・真言宗の寺院で、「播磨高野(こうや)」と呼ばれる真言宗75名刹(めいさつ:名高い寺のこと)の一つです。開基は、法道仙人といわれています。仁明(にんみょう)天皇の勅願(ちょくがん)寺となり、多数の寺院坊舎(ぼうしゃ:僧の住む建物)がありましたが、栄枯盛衰を重ね現在に至っています。1352年(観応3年)、足利尊氏と弟・直義が戦った、「光明寺の合戦(後記参照)」の舞台として知られ、紅葉の名所としても有名です。
加東市光明寺435

兵庫県立播磨中央公園

森林に囲まれた丘や大小の池が散在する自然豊かな園内には、サイクルランド・野球場・テニスコートなどの運動施設や野外ステージ・子どもの森・四季の庭などの施設が整っています。
加東市下滝野1275-8

加古川流域滝野歴史民俗資料館

江戸時代から大正時代まで続いた加古川舟運。舟や舟問屋、農漁業の道具など当時の生活を紹介する道具類を展示。
☎ 0795-48-3422
加東市下滝野1369

<参考>
1.法道仙人とは
法道仙人(ほうどうせんにん)インドの仙人。6~7世紀頃、中国・朝鮮半島を経由して日本に渡ってきたといわれています。播磨国一帯の山岳などに開山・開基し名を遺(のこ)しています。

2.光明寺合戦とは
1352年、光明寺で起った足利尊氏とその弟・足利直義との間の戦いで、観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)の中で戦われた播磨最大の戦いです。直義方の石塔頼房(いしどうよりふさ)は光明寺に籠城、足利尊氏が引尾山に、高師直(こうのもろなお)が鳴尾山に布陣して合戦となったが、寄手(よせて)の尊氏方は、光明寺の守りが固く攻め落とすことができずに退散した戦いのこと。

下記の地図で所在地をご確認ください。



一乗寺と県立フラワーセンター周辺を訪ねて

兵庫県立フラワーセンター

自然の松林に囲まれた園内は、中央に亀ノ倉池・大温室・花壇・樹木園があります。春になると花壇には、国内最大といわれる460種・22万本のチューリップで埋め尽くされます。夏にはサルビア・マリーゴールド、秋は菊、冬はビオラなど、季節毎に植え替えられる草花の数は、年間60万株だそうです。大温室には、ベゴニア・ストレプトカーパス、特に食虫植物のコレクション数は、国内有数です。他には、サクラ園・バラ園・シャクナゲ園・ツバキ園、アジサイやツツジの小道・山野草のウッドランドなど旬の花が楽しめます。
加西市豊倉町飯森1282-1

法華山・一乗寺

一乗寺は、西国三十三ヶ所・第二十六番札所の天台宗の寺院です。御詠歌(ごえいか)の「春は花 夏は橘(たちばな) 秋は菊 いつも妙なる 法の華山」の通り、桜と紅葉の名所として有名です。石段を上がると、常行堂と国宝三重塔が見えます。この三重塔は、1171年(承安元年)の建立で日本を代表する古塔(ことう)で、屋根は、上になるほど小さくなり、安定感のある美しい塔です。その他、石造宝塔や奥の院・開山堂等文化財も多く、特に国宝に指定されている「聖徳太子及び天台高僧画像」は有名です。
加西市坂本町821-17

玉丘史跡公園

6.2haの園内には、播磨風土記の「根日女(ねひめ)の恋」伝説を伝える玉丘(たまおか)古墳と6基の古墳が点在しています。この古墳は5世紀前期のもので、全長109mの前方後円墳です。県下6番目の大きさといわれ、墳丘や外堀が当時のまま残っており、国の史跡指定を受けています。また、この古墳の周りには、芝生広場や湿地観察園・ガイダンス棟・野鳥観察デッキなどがあります。
加西市玉丘町76

鶉野飛行場跡

1943年(昭和18年)姫路海軍航空隊鶉野(うずらの)飛行場は、優秀なパイロットを養成するために造られた旧日本海軍の飛行場で、姫路海軍航空隊も開設されました。当時、隣接する川西航空機姫路製作所鶉野工場では、「紫電」や「紫電改」など約500機の戦闘機が造られていました。航空隊には、当時17歳~25歳までの若者が全国から約320名集められ、30時間の厳しい飛行訓練を受け、各航空隊に配属されました。1945年(昭和20年)、練習生による神風特攻隊・白鷺隊が編成され63名の尊い命が失われました。飛行場の周辺には、防空壕など戦争の爪痕が今も数多く残っているそうです。
加西市鶉野町

下記の地図で所在地をご確認ください。



2017年6月23日金曜日

国宝・朝光寺と東条湖周辺を訪ねて

加東市について

加東市の北部は、中国山地から連なる御嶽山(みたけさん)、源平古戦場・三草山(みくさやま)、五峰山(ごぶさん)などがあります。加古川などに沿って河岸段丘と沖積(ちゅうせき)平野が形成され、南部には嬉野(うれしの)台地、加古川右岸には青野ヶ原(あおのがはら)の丘陵地が広がっています。
加古川の支流・東条川・出水(いでみず)川・千鳥川・吉馬(よしうま)川・油谷(あぶらたに)川などが流れ、農業用水として多数のため池が築造されました。加東市の北東部一帯は、「東条湖立杭県立自然公園」に指定されています

播州・清水寺

播州・清水寺(きよみずでら)は、天台宗の寺院で西国第二十五番霊場です。1800年前、天竺(てんじく:古代インドのこと)僧の法道が創建したといわれています。627年には、推古天皇直々に根本中堂が建立され、725年には、聖武天皇が行基(ぎょうぎ:後記参照)に命じて、講堂を建立されたといわれています。清水・東条湖立杭(たちくい)県立自然公園内にあり、海抜550mから瀬戸内海・淡路島・明石大橋が見渡せます。春には桜・シャクナゲ・アジサイ、秋には紅葉が楽しめます。
加東市平木1194

東条湖

兵庫県南東部、東条川の支流鴨(かも)川につくられた人造湖で、東播磨内陸部の水田灌漑(かんがい)用として、1951年(昭和26年)に完成しました。
東条ダムの堰堤(えんてい:堤防)の高さは43m・長さは97mで、このダムの完成により、新たに田畑が数多く造成されました。「清水東条湖・立杭県立自然公園」で、湖畔には遊園地の東条湖おもちゃ王国や別荘地、ゴルフ場など多くのレジャー施設が整っています。
加東市黒谷

黒谷若宮八幡宮本殿

1962年(昭和37年)に国の重要文化財に指定。三間社流造、正面軒唐破風付、柿葺で唐破風の桁(けた)は向拝(こうはい)から身舎(もや)へ登りにかかり、このような流造(ながれづくり)で登桁を用いた唐破(からは)風造形式の神社建築は全国でも数例しかないそうです。
加東市黒谷275

国宝・朝光寺

朝光寺(ちょうこうじ)は高野山・真言宗で、651年頃、法道(ほうどう:後記参照)仙人の開基といわれ、本尊は十一面千手(せんじゅ)観世音菩薩です。本堂は、細部に和様・唐様の折衷(せっちゅう)様を呈した方七間の堂々たる建物で、1954年(昭和29年)国宝に指定されました。本堂の建築時期は、室町時代初期といわれています。鐘楼(しょうろう)は、国の重要文化財に指定されています。
毎年55日の「鬼追(きおい)踊」は1982年(昭和57年)県・指定無形民俗文化財に指定されました。
鐘楼
加東市畑609

平池公園

平池公園は、2000年の眠りから目覚めた大賀ハスや珍種のハス、スイレンを多数栽培。自然観察と憩いの場として、四季折々の彩りが楽しめます。
加東市東古瀬453-1

<参考>

法道仙人とは
法道仙人(ほうどうせんにん)インドの仙人。6~7世紀頃、中国・朝鮮半島を経由して日本に渡ってきたといわれています。播磨国一帯の山岳などに開山・開基し名を遺(のこ)しています。

行基とは
行基(ぎょうき)は、奈良時代の日本の僧侶(そうりょ)です。布教活動を禁じた時代に、禁を破り畿内(近畿)を中心に民衆や豪族など階層を問わず困窮(こんきゅう)者のための布施屋(ふせや:運搬夫や旅人のためにつくられた宿泊施設)を9所設け、数々の社会事業を各地で成し遂げられました。当初は、朝廷から度々弾圧などされましたが、民衆の圧倒的な支持があり、その力を結集して逆境を跳ね返されました。その後、大僧正(だいそうじょう:最高位の位で行基が日本最初)として聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘(しょうへい)されました。この功績により東大寺の「四聖(ししょう:後記参照)」の一人に数えられています。

四聖とは
四聖(ししょう)とは、本願(ほんがん)の聖武(しょうむ)天皇、開基の良弁(ろうべん)、勧進(かんじん)の行基、導師(どうし)の婆羅門僧正(ばらもんそうじょう)の総称です。

下記の地図で所在地をご確認ください。



2017年6月22日木曜日

酒見寺・久学寺と北条鉄道を訪ねて

加西市について

播磨平野中部に位置し、日本海側と瀬戸内海側を結ぶ交通の要として繁栄しました。また、西脇市と並ぶ播州織やブドウ・イチゴ・花・酒米・畳表(たたみおもて)の播州表(ばんしゅうおもて)などの産地として知られ、一乗寺や酒見寺(さがみでら)・玉丘古墳・兵庫県立フラワーセンターなど観光資源も豊富です。

河上山・久学寺

1645年(正保2年)播州赤穂へ国替えとなった常陸の国(茨城県)笠間の城主・浅野内匠頭(たくみのかみ)長直(ながなお)は、赤穂藩5万3千石の領地と飛地で石高(こくだか)の多い旧加西郡の北部(現加西市)8,920石の領地を見聞に訪れた際、河上山(かわかみさん)・久学寺(きゅうがくじ)に宿泊、住職に山林田畑12石を寄付され、浅野家の菩提寺として父・長重公と浅野家代々の弔祭(ちょうさい:死者の霊をとむらい、まつること)を依頼されました。菩提寺という関係から浅野内匠頭長矩(ながのり)公及び46士の戒名は、久学寺住職が贈ったという過去帳や大石内蔵助(花岳寺の維持、浅野家の弔祭依頼)と吉田忠左衛門(ちゅうざえもん)、大高源五(おおたかげんご)から先祖供養の依頼の手紙が保存されています。
加西市上芥田町982

五百羅漢

この五百羅漢(ごひゃくらかん)は、「いつ、誰が、何のために」作ったかもわからない。また、史実も、資料も、確かな言い伝えも、何一つとして存在しないそうです。
加西市北条町北条1293
北栄山羅漢寺

北條の宿

北条の宿(しゅく)は、1,200年以上前に建立された住吉神社・酒見寺(さがみじ)の門前町として栄えました。戦国時代・小谷城(現在の加西市北条町小谷)主・赤松氏が市(いち)を開いたことから、『田舎なれども北条は都、月に六斎市(ろくさいいち:月6回開かれた定期市のこと)が立つ』と詠われ、古くから山陽と山陰を結ぶ交通の要として栄えました。現在でも、住吉神社や酒見寺の周辺・旧街道沿いには贅(ぜい)を尽くした商家が建ち並び、県歴史的景観形成地区に指定されています。
加西市北条町の旧市街地

北条鉄道株式会社

北条鉄道株式会社は、旧国鉄の鉄道路線を運営するため、1984年(昭和59年)に設立された会社です。この会社は、加西市や兵庫県などが出資する第三セクター方式で設立され、粟生(あお)駅から北条駅まで13.6kmの鉄道のことです。北條鉄道の起点駅・粟生駅をスタート、網引(あびき)駅⇒田原駅⇒法華口駅⇒播磨下里(しもさと)駅⇒長(おさ)駅⇒播磨横田駅⇒北条町駅の8駅からなります。
加西市北条町北条28-2

下記の地図で所在地をご確認ください。