金鑵城遺跡広場・夢の森公園
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金鑵城(かなつるべ)は、室町時代に播磨守護職・赤松氏の家臣・中村氏が築いた山城です。城内に深い井戸があり、その水を「かなのつるべ」で汲み上げていたことから「金鑵城」と名付けられたそうです。この城は、遠望がきいて周囲を広く見渡せる絶好の場所が選ばれています。他には、弥生時代の竪穴式住居跡も確認されています。1999年(平成11年)夢の森公園がオープンしました。
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おの桜づつみ
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国史跡広渡廃寺跡歴史公園
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国史跡・広渡(こうど)廃寺跡は、7世紀後半に建立された寺院で東西両塔、金堂、講堂などの遺構が確認されています。奈良の薬師寺と同じ伽藍(がらん)配置だったそうです。現在は、史跡公園として整備・復元され、縮尺1/20の模型が屋外に展示されています。
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ひまわりの丘公園
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ひまわりの丘公園は、38万本のひまわりと380万本のコスモスが、花のじゅうたんのように咲き誇ります。園内には、御影石で出来た「ひまわりの塔」やわんぱく広場、多目的広場、小野の特産品の販売などがあります。
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国宝・浄土寺
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浄土寺は、鎌倉初期に重源上人(ちょうげんしょうにん)が建立した寺院です。中央に八幡神社、その前に池をはさんで浄土堂と薬師堂が向かい合うという珍しい配置となっています。浄土堂と堂内の阿弥陀三尊立像はともに、国宝に指定されています。このように建物と仏像が国宝に指定されているのは、浄土寺と京都宇治の平等院のみです。平安末期から室町時代まで、小野市の中心部は奈良東大寺の荘園大部荘に属し、経済的な拠点として重要な役割を果たしていました。1180年(治承4年)、平家の焼打ちで東大寺は焼失。その再建にあたり勧進(かんじん)職の重源上人は、現在の小野市を視察し、東大寺再建の経済的基盤として浄土寺を建立しました。浄土寺は、宝形(ほうぎょう)造り、本瓦葺きで東大寺南大門と並ぶ大仏様建築で、円形須弥壇(しゅみだん:後記)上の雲座(くもざ)の上に、高さ5.3mの阿弥陀如来像が建ち、両脇には高さ3.7mの観音勢至菩薩(せいしぼさつ)が建っています。いずれも、鎌倉時代の有名な仏師・快慶(かいけい)の作品です。浄土寺の背面は、壁を開放できる蔀戸(しとみど:板の両面に格子をくんだ戸のこと。)になっており、夕日が差し込むと後光として輝き、三尊が浮かび上がったように見え、西方浄土から現世に来迎(らいごう)する仏たちの姿が道的に表現されて宗教的演出効果の多彩な堂宇として、浄土堂にふさわしい建物となっています。浄土堂と向かい合わせに建っている薬師堂は、現在、浄土寺の本堂です。室町時代に焼失後、再建されましたが、大仏様に和様と唐様(からよう:中国風)が折りなされ、この時期の折衷様式で、国の重要文化財に指定されています。他には、重源上人を安置した開山堂や本瓦葺き入母屋造り袴腰(はかまごし)付きの鐘楼、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)に基づいて配された鎮守社、八幡神社の本殿、拝殿、それに俳人・松尾芭蕉を讃えるために建てられた句碑(くひ)などがあります。
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開山堂(重要文化財)
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本堂(薬師堂:重要文化財)
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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播磨観光情報「のんびり播磨、ゆっくり散策」は、播磨の観光スポットや観光ルート、播磨の伝統文化、播磨のうまいもん、播磨のお祭りやイベント、播磨の文化が体験できる体験情報など、キメ細かく紹介する観光情報サイトです。
2017年11月13日月曜日
金鑵城遺跡広場と浄土寺周辺を訪ねて
金物のまち・三木市街地を訪ねて
三木市について
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三木城は、東播8郡24万石を領した別所小三郎長治(こさぶろうながはる)の居城でした。秀吉は、商工業を活発にさせることで荒廃した三木の町を見事再建させ、今日の金物産業発展の基礎を築きました。また、市域内を中国及び山陽自動車道が通過するなど、全国的にも交通の要として注目され、数多くの「ゴルフ場」や「三木ホースランドパーク」「山田錦の館」「吉川温泉よかたん」「ネスタリゾート神戸」などの観光施設も整備されました。
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旧玉置家住宅
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旧玉置(たまおき)家住宅は、1826年(文政9年)上州館林藩(じょうしゅうたてばやしはん)の財政建て直しのため、切手会所(今の銀行)として建てられました。現在の三木市は、1747年(延享4年)~1842年(天保13年)までの約100年間、上州館林藩(群馬県)の飛び地領でした。1823年(文政6年)三木町中町に切手会所を開設。1826年(文政9年)切手会所(現在の旧玉置家住宅)完成、中町から移す。1875年(明治8年)玉置家の住宅となる。
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光明寺
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羽柴秀吉が三木城下を再整備したとき13ヵ寺を許可したことから、1580年(天正8年)頃の創建といわれています。この地域ではあまり見られない勇壮な二重屋根構造の本堂と仏師・安阿弥(あんなみよう)作の観世音菩薩像33体が祀られた六角観音堂が有名です。山門をくぐり左手の「南無阿弥陀仏」の名号石(みょうごいし)は、安土桃山時代の作といわれています。代々大年寄を務めた十河(そごう)氏は、六角観音堂を寄進し、三木市の発展に多大な貢献をされた方です。また、名奉行の都築(つづき)家の菩提寺でもあり、境内に一族の墓碑が建っています。
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雲龍寺・長治公首塚
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雲龍寺(うんりゅうじ)には、別所長治公が自刃の際、当寺の住職に後を託し、愛用の金天目(きんてんもく)の湯呑みを贈りました。境内には、住職が長治夫妻の首を貰(もら)い受けて埋葬したと伝えられる首塚があります。
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大宮八幡宮
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当社は応神(おうじん)天皇を御主座に、その両側に八柱の神様、計九柱の神様を御本殿にお祀りしております。1111年(天永2年)別所頼清(よりきよ:初代)が創建し、2011年(平成23年)創建900年を迎えました。
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旧小河家別邸
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旧小河家別邸は、明治から大正にかけて初代郡会議員、三木町長などを歴任し、三木銀行の設立に尽力し、政治家であり実業家としても活躍した小河秀太郎が明治末期に別荘として建てたものです。約2,200㎡の敷地に、緩やかな斜面を利用して主屋及び離れ座敷を中心に、前庭、主庭、中庭、裏庭、側庭の5つからなり、主庭は、池泉(ちせん)回遊式で池を中心に回ることができ、移り変わる景観を楽しむことができます。2007年(平成19年)に国の登録記念物として登録されました。主屋は、1929年(昭和4年)に来訪された朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこおう)の宿泊所になりました。上段の間や貴人用浴室、便所などを設ける等、明治時代の國包(くにかね:現在の加古川市上荘町国包)建具工や大工の技術の高さをうかがい知ることができます。2006年(平成18年)に国登録有形文化財に登録されました。
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中町・丸一の洗濯場
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ここ中町・丸一の洗濯場は、100年以上もの間、庶民の社交場として親しまれてきました。
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三木鉄道記念公園
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2008年(平成20年)、廃線になった三木鉄道の旧三木駅周辺は、2010年(平成22年)三木鉄道記念公園として再整備されました。園内には、三木駅舎を改築した「三木鉄道ふれあい館」や地場産品の直売所、食事処、多目的広場などがあります。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2017年6月29日木曜日
そろばんの町・小野市街地を訪ねて
小野市について
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小野市は、東播磨地域のほぼ中央に位置し、加古川を中心として広大な平地となだらかな丘陵を自然環境とし、浄土寺などの歴史・文化を併せ持つ豊かな都市です。古くから「そろばん」の生産地として有名です。また、家庭用金物も有名で、播州鎌は兵庫県の伝統的工芸品に指定されています。
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小野市伝統産業会館
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小野市伝統産業会館には、小野市の伝統産業「そろばん博物館」が設けられ、昔のそろばんや海外のそろばん、小野市の特産品である家庭用刃物や木工芸品など多数展示されています。また、そろばん枠に玉を入れる「玉入れ」体験等もできるそうです。
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そろばん
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小野藩陣屋跡碑
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1636年(寛永13年)、伊勢国・神戸(かんべ)藩5万石の大名だった一柳直盛(ひとつやなぎ なおもり)は、今までの功績を認められ、伊予国58,600石に播州加東郡1万石が増やされましたが、直盛は病で亡くなり所領は3分割され、それぞれを息子が引き継ぎました。小野藩陣屋跡は小野小学校から小野高校あたりにありました。小学校門横には陣屋の縄張り図陣屋跡があります。
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小野市立好古館
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好古館は、小野藩・一柳家の陣屋跡にある歴史博物館のことです。小野市の地理・歴史を紹介し、十二単(じゅうにひとえ)などの着付けや茶室柳風亭(りゅうふうてい)にて茶道教室なども開催されています。
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住吉神社
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小野住吉神社は、小野藩主・一柳家が氏神として崇敬(すうけい)した神社です。また、「愛犬の幸せ」「愛犬との幸せ」をご祈願する犬幸祈願(けんこうきがん)の神社として知られています。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2017年6月27日火曜日
兵法家・竹中半兵衛と東光寺周辺を訪ねて
東光寺
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東光寺(とうこうじ)は、高野山・真言宗で行基の開基といわれています。室町時代の本堂は、国の重要文化財に指定されています。当時は、広大な寺域と多くの僧坊が建っていたといわれています。また、桜と紅葉の名所として知られています。
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連花寺
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連花寺(れんげじ)は、真言宗・大覚寺派のお寺です。645年、法道仙人の開基といわれ、空海(弘法大師)の修行地と伝えられています。954年、村上天皇の勅命(ちょくめい)で中興され、蓮花寺と称するようになりました。寺領16町4面、18院33坊の大寺院として栄えましたが、1579年(天正7年)秀吉の三木攻めの兵火により焼失してしまいました。江戸時代に再建された本堂、多宝塔(たほうとう)、鐘楼(しょうろう)、仁王門など七堂伽藍(がらん)が残っています。鐘楼の梵鐘(ぼんしょう)には1346年(貞和2年)と刻まれており、県の指定文化財に指定されています。2月の節分は、鬼の面をかぶりタイマツをふりかざして踊る豪壮な行事です。この寺も、紅葉の名所としても知られています。
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伽耶院
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伽耶院(がやいん)は7世紀中頃、法道仙人が毘沙門天のおつげによって創建したという神秘的なお寺です。花山天皇の行幸もあり、最盛期は数十の堂宇(どうう:建物)と百三十余の坊(ぼう:社務所や僧侶の住まいのこと)があったといわれています。秀吉の三木攻めの兵火で焼失してしまいました。その後、江戸時代に姫路城主・池田輝政や明石城主・小笠原忠真らに帰依(きえ)され、一部再建されました。本堂・多宝塔・三坂明神社本殿・木造毘沙門天立像は、いずれも国の重要文化財に指定されています。体育の日の採燈大護摩(さいとうおおごま)には、山伏(やまぶし)姿の修験者が近畿一円から集まり、全山にホラの音がこだまし煙が立ちこめます。
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御坂サイフォン橋
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御坂(みさか:眼鏡橋)サイフォン橋は、イギリス陸軍少将・パーマー氏の設計により、志染(しじみ)川の清流にかかる我が国最初のサイフォン(噴水管)橋で、1891年(明治24年)に完成しました。山から谷を通って向かいの山へ水を運ぶ、疎水(そすい)工事は、当時としては画期的な大事業で、1世紀以上経った今日でも立派な役割を果たしています。
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竹中半兵衛の墓
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竹中半兵衛(本名・重治(しげはる)は、「半兵衛」と呼ばれていました。美濃(岐阜県)出身の兵法家で、秀吉の片腕として活躍していましたが、三木合戦の最中、平井山の陣中において36歳の若さで病死してしまいます。本営のあった山に続くぶどう畑の真ん中に白い練り塀に囲まれた墓があります。
半兵衛の墓は、志染(しじみ)町安福田(あぶた)にもあります。
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慈眼寺
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慈眼寺(じげんじ)は、648年法道仙人の開基といわれています。一時、慈眼寺は荒廃しましたが、南北朝時代に播磨の守護・赤松則村(のりむら:法名、円心)によって再興されました。境内には、1868年(明治元年)東京両国の回向院(えんこういん)から分墓した鼠形(ねずみがた)の石の台座に墓碑を乗せた「鼠小僧(ねずみこぞう)次郎吉の墓」が祀られています。1309年(延慶2年)と刻まれた梵鐘(ぼんしょう:仏教で時を知らせるために打鳴らす鐘のこと。)は、県指定文化財に指定されています。この梵鐘は、三木合戦の際、秀吉の武将・有馬法印則頼(ありまほういんのりより)が寺の裏山に布陣し、陣鐘(じんがね)に使用していたといわれています。また、慈眼寺は紅葉の名所としても知られています。
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金剛寺
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金剛寺(こんごうじ)は、651年法道仙人の開基。825年、空海が諸国修業で立ち寄り、カヤの木で薬師如来を刻み、一堂を建立したと伝えられています。天正(備中)の兵乱で堂塔(どうとう)を失いましたが、大村由巳(ゆうこ:安土桃山時代の文学者)の尽力で1665年(寛文5年)に本堂が再建されました。
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法界寺・別所家霊廟
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1580年(天正8年)正月17日、秀吉の三木城攻めで敗れた城主・別所長治が自刃(じじん)し、その遺体を法界寺(ほうかいじ)に埋めたと伝えられています。霊廟(れいびょう)や別所長治夫妻の霊牌(れいはい)及び画像・木像があります。毎年4月17日には、三木合戦記を絵物語にした大掛軸を使い絵解(えと)きが行われます。
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