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江井島港
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高僧・行基が築港したといわれ、摂津・播磨の5泊の一つ「魚住の泊」でした。三木合戦時には、毛利軍から別所方への兵糧補給港でした。
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西灘酒蔵群
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山電・西江井島駅の南一帯は、良質の井戸水と「谷米」という酒米を原料とし300数十年も前から、銘酒「西灘」の酒どころとして知られていました。現在は酒蔵も減り、昔の面影が失われつつあります。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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播磨観光情報「のんびり播磨、ゆっくり散策」は、播磨の観光スポットや観光ルート、播磨の伝統文化、播磨のうまいもん、播磨のお祭りやイベント、播磨の文化が体験できる体験情報など、キメ細かく紹介する観光情報サイトです。
2019年1月31日木曜日
江井島港と西灘酒蔵群
2019年1月30日水曜日
明石象化石発掘地と明石原人発見の地
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明石象化石発掘地
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約200万年前に生息していた明石象(アケボノゾウ)の化石が発掘されたところです。明石象の骨格の複製は明石市立文化博物館と中央体育会館にあります。
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屏風ヶ浦・明石原人腰骨発見の地
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帯状に続く崖(がけ)を海上から見ると屏風を立てた様に見えるため、「屏風(びょうぶ)ヶ浦海岸」と名付けられました。この一帯で、1931年(昭和6年)直良(なおら)信夫氏が腰骨を発見し、人類学者・長谷部言人(はせべ ことんど)博士によって「明石原人」と命名されました。現在、西八木の発見地付近には標識が立っています。また、地元の大久保町では、毎年「原人まつり」が開催されています。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2019年1月29日火曜日
武蔵作庭の法寫山・善楽寺の庭
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法寫山・善楽寺
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法寫山・善楽寺(ほうしゃざん・ぜんらくじ)は、戒光院(かいこういん)・実相院(じっそういん)・円珠院(えんじゅいん)の総称で、平安末期には17カ院あり、明石川の東岸一帯に七堂伽藍がそびえていたそうです。明石では一番古いお寺といわれ、法道仙人によって創建されました。焼失したのを再興したのが平清盛で境内には、清盛の供養塔といわれる石造五輪塔があります。この善楽寺周辺が明石における源氏物語の史跡としてよく知られています。戒光院には、5代藩主・松平忠国が建てた「光源氏古跡明石の浦の浜の松」の石碑、「明石入道の碑」、円珠院には、明石城が築城される際に、明石の町割りをした剣豪・宮本武蔵が作庭したといわれる枯山水の庭園があります。この庭園は、ひょうたん型を中心とした池泉観賞式庭園となっています。
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平清盛の供養塔
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光源氏古跡明石の浦の浜の松
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明石入道の碑
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池泉観賞式庭園
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下記の地図でご確認ください。
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2019年1月28日月曜日
光源氏が月見した無量光寺
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蔦の細道・無量光寺
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無量光寺(むりょうこうじ)は、光源氏(ひかりげんじ)が月見をしたお寺として知られ、境内に源氏屋敷や月見の松もあったといわれています。かつてこの辺りはアシや竹が生い茂り、大薮と呼ばれていました。人もあまり通らず、寺の土塀が連なる辺りは、竹に蔦が絡まりあっていたそうです。山門の彫刻は、名工・左甚五郎(ひだり じんごろう)作と言われています。無量光寺の山門前の「蔦の細道」は光源氏が「浜の館」から明石の上が住む「岡部の館」へ通った道と言われています。
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光源氏月見の池
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蔦の細道の碑
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下記の地図でご確認ください。
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2019年1月27日日曜日
明石港と旧波門崎燈籠堂
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明石港と旧波門崎燈籠堂
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明石港
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旧波門崎燈籠堂
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明石港は明石と淡路を結ぶ大切な港です。初代明石城主・小笠原忠真が砂船を使って土砂を掘り下げて造りました。その後、代々の城主が改修を行い、「宝の船入り」と呼ばれる活気ある商業港として栄えてきました。旧波門崎燈籠堂(はとさきとうろどう)は、総高7.3mで、江戸時代から残る明石港のランドマークです。2014年、国の登録有形文化財に登録されています。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2019年1月26日土曜日
柿本人麻呂を祭神にした柿本神社
柿本神社
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地元では「人丸さん」として親しまれている柿本(かきのもと)神社は、歌仙・柿本人麻呂を祭神としています。学問・文学の神様として崇敬(すうけい)されているだけでなく、「人麻呂」の名から「ヒトマル」→「火止まる」で火除け、「人生る」で安産の神として信仰されています。887年(仁和3年)月照寺(げっしょうじ)の僧・覚証(かくしょう)が、人麻呂の霊が明石に留まっていることを感じとり、月照寺の裏に祠(ほこら)を建てて祀ったのが始まりだそうです。その後、明石城の築城で月照寺と共に現在地に移されました。1723年(享保8年)正一位・柿本大明神の神位神号(しんいしんごう)がおくられました。柿本人麻呂は、大和⇔任地の西国を何度も往来したとされ、明石大門(明石海峡)の和歌も残されています。境内に、「播州明石浦柿本太夫祠堂(しどう)碑」があります。台座に亀・碑面には双龍が施され、通称「亀の碑」と呼ばれるこの碑は、1664年(寛文4年)明石城主・松平信之によって建てられ、1712文字からなる人麻呂伝記となっています。この碑文を誤らず読み上げると、台座の亀が動き出すといわれています。他にも、盲杖桜(もうじょうざくら)やお筆柿(ふでがき)などの伝説があります。
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2019年1月25日金曜日
明石藩主の菩提所・長寿院
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長寿院
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天文科学館のすぐ南にある長寿院(ちょうじゅいん)は明石城藩主の菩提所です。本堂の前の石灯篭と屋根瓦の葵(あおい)の紋に、このお寺の歴史と威厳を感じます。長寿院は、8代藩主・松平直明の父、松平直良が越前(福井県)木本(きもと)城主の時に建立したもので、直明が1682年(天和2年)明石入りしたときに木本から移されました。当時は寺領として70石を与えられ、住職は紫衣や明石城内での下駄履きを許されていたようです。8代藩主・松平直明から15代藩主・松平斉宜(なりこと)までのお墓とその家族のお墓があります。墓域中央には、16代藩主・松平慶憲(よしのり)が建てたとされる竜の彫刻が施された豪華な御霊屋(みたまや:先祖の霊を祀っておく建物)があります。また、明石藩家老・美濃部(みのべ)家の門柱が残されています。
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2019年1月24日木曜日
田捨女が創建した「不徹寺」
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不徹寺
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不徹寺(ふとくじ)は、1688年(元禄元年)嶺雲貞閉比丘尼(れいうんていかんびくに:丹波柏原生まれ、田捨女(でんすてじょ)の法号)が創建しました。当時捨女は、元禄の4俳女(女流俳人)・古今俳譜女三十六俳仙に数えられるほど高名でした。41歳の時、夫が死去。剃髪(ていはつ:頭髪を剃ること)し、浄土宗の尼僧として上京。盤珪禅師に帰依(きえ)し、網干に移り、貞閉(ていかん)に改名。66歳で死去されました。貞閉は、「貞門六俳仙(松永貞徳門下の六人の優れた俳人)」に数えられ永久に讃迎(さんぎょう:ほめたたえてあおぐこと)された女性で、郷土の誇りとして今でも伝えられています。六歳で詠んだ「雪の朝」(雪の朝、二の字二の字の、下駄のあと)の句は全国で知られています。網干に移ってからは、尼衆を指導し、不徹庵定規や盤珪説法、自伝が遺されています。特に、貞閉庵自作の歌解説の筆跡の美しさには心をうたれます。
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<田捨女の子孫>
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田捨女の子孫は、著名人も多く財界人の田艇吉(でんていきち)、枢密院(すうみついん:天皇の諮問機関)顧問官・閣僚を歴任した男爵の田健治郎、参議院議員の田英夫さんらがいる。
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2019年1月23日水曜日
丸亀藩陣屋門
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丸亀藩陣屋門
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龍野藩主・京極家が四国・丸亀に移封されても興浜や浜田の地は、丸亀藩の飛地となり、京極家の領地でした。この興浜の陣屋には、郡代や郡奉行が派遣され、藩の屋敷などがありましたが、1870年(明治3年)取り壊されました。この建物は老朽化した陣屋門を参考に、1987年(昭和62年)改築されたものです。
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2019年1月22日火曜日
魚吹神社と提灯祭り
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魚吹神社
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魚吹神社(うすき)の祭神は、息長足姫命、品陀和気命、玉依比売命。創建時期は不明。平安時代末期に石清水八幡宮の別宮となり、魚吹八幡神社と呼ばれるようになり、網干津にあるので「津の宮」とも呼ばれています。魚吹八幡神社の秋祭りは、「提灯祭り」といわれています。提灯の列が神社の楼門にさしかかったとき、互いの提灯を叩き合い「提灯練り」が始まります。若衆の叫びと群衆のどよめき、竹を打ち鳴らす音が激しさを増し、祭りは最高潮となります。
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提灯練り
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2019年1月21日月曜日
妻鹿城跡と黒田職隆公廟所
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妻鹿城跡
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妻鹿城跡(別名:国府山城)は、市川右岸の標高98mの甲山に築かれた山城で、1580年(天正8年)秀吉に姫路城を渡し、黒田官兵衛は父・職隆とともに移り住みました。
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山の麓にある「妻鹿城址」の碑は1970年(昭和45年)建立されました。
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黒田職隆公廟所
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黒田職隆公廟所(びょうしょ)は、黒田官兵衛の父・職隆の廟所で、地元の人達からは「筑前さん」と呼ばれています。
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