太市について
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応神天皇がここ太市を訪問されたとき、「私は狭い土地だと思ったのに、まことに大内(内側は広大)である。」といわれ「大内」と名付けられ、それが「太市(おおいち)」になったそうです。
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太市の筍
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1848年~1853年(嘉永年間)頃に親竹として、孟宗竹を移植したのが始まりといわれています。今でも、太市(おおいち)の筍は「器量の山城、味の太市」といわれ、京阪神の料理屋さんから大変重宝された筍です。
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破盤神社
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破磐神社(はばん)は、神功(じんぐう)皇后が三韓(さんかん)征伐の帰りに、忍熊王(おしくまのみこ)の反乱にあい、船を止めて神託(しんたく)を求めたところ大己貴命(おおなむちのみこと)の神託があり、三本の矢が放たれました。その一本目は印南郡的形に、二本目は飾磨郡安室辻井に、三本目が太市郡西脇山中の大磐石(だいばんじゃく)を三つに割ったということから名付けられたそうです。この磐が「われ岩」として神社から約2km離れた場所にあります。
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われ岩
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ここ破磐神社では、太市の筍の収穫時期(3月上旬~5上旬頃)を合わせて「筍料理」が食べられます。宮司(前職料理人)さんの手料理です。要予約。
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石 鞍
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稲荷神社の石段に置かれている「石鞍(いしくら)」。当初は、旧因幡街道沿いにあって多くの人々から注目されたそうです。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2017年8月5日土曜日
筍の産地で有名な「太市」を訪ねて
ラベル:
中播磨の観光・姫路市の東・西部を訪ねて
2017年5月24日水曜日
姫路城下への西の入口「下手野」を訪ねて
瓦山(現:船越山)
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瓦山(現:船越山)
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ここ下手野の北東に船越山があります。この山が、青山合戦で黒田官兵衛が陣取った「青山」のことで、当時は「瓦山」と呼ばれていました。ここには、船越神社があります。
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川会所
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江戸時代、ここ下手野は姫路城下の西の入口にあたり、東西は西国街道が走り、北は作州街道と因幡街道、夢前川には渡し船の渡し場があり「川会所(川越しに関する事務を扱った役所のこと)」も設けられていました。このように下手野は交通の要として栄えた所でした。
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右 誕生寺道
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左 たつの
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宿場町
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ここには旅籠屋が建ち並び川留めの際には、西国の大名や幕府のお役人なども宿泊した、かなりの規模の宿場町でした。
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常夜灯
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当時、桔梗屋の他に、大屋、井筒屋、まるや、大黒屋、油屋、花屋、からすき屋、材木屋などの旅籠屋があったそうです。残念ながら、遺構は残っていません。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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ラベル:
中播磨の観光・姫路市の東・西部を訪ねて
2017年5月22日月曜日
子ども公園に生まれ変わった「桜山公園」を訪ねて
生まれ変わった桜山公園
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また、桜山貯水池だった桜山周辺は、1987年(昭和62年)の「姫路市自然観察の森」の開園を機に、子供をテーマにした「桜山公園」へと生まれ変わりました。
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桜山貯水池
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貯水池下にある旧飾磨郡余部村青山より旧揖保郡太市村に抜ける峠道の街路樹として多くの桜の木が植えられていたことから「桜峠」と呼ばれていたことに由来しています。当初は、揖保川から揚水し非常時に備える保安用として1940年(昭和15年)に着工されたが、戦時中のため、1945年(昭和20年)工事中止。1960年(昭和35年)、工業用水の需要増のため、堰堤(えんてい)の嵩(かさ)上げ工事を行い、有効貯水量446万㎥の貯水池が完成。
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桜山公園
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1987年(昭和62年)、兵庫県と姫路市が貯水池周辺を「桜山公園」として再整備がスタート。8kmのハイキングコースを備えた「姫路市自然観察の森」は、四季を通じて植物・昆虫・野鳥などの観察には適しており、北岸一帯は自然観察路や野鳥観察小屋が設けられ、ネイチャーセンターのレンジャー(自然観察指導員)から動植物や自然環境などについて話を聞くこともできます。自然観察の森の東には、兵庫県立こどもの館(安藤忠雄氏設計)・姫路市立星の子館・姫路科学館(別名アトムの館)などの施設があります。特に、姫路科学館のプラネタリウムは国内最大級の直径27mのドームスクリーン、星の子館は国内最大級の90㎝反射望遠鏡と宿泊可能な児童向け天文観測施設が設けられています。
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東から順に
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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ラベル:
中播磨の観光・姫路市の東・西部を訪ねて
2017年5月21日日曜日
稲岡山を中心に栄えた「青山」を訪ねて
夢前川
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姫路藩主・榊原忠次が、1655年(明暦元年)御立の横関に堰を築き、それまで御立から今宿に流れていた主流を直接青山に導き、現在の姿になったそうです。
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西国街道の道標
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西国街道(旧山陽道)の道標は、国道2号線・夢前橋西交差点から北へ100mのところにあり、右(北)は因州・伯州・作州・雲州方面、左(西)は備前・九州方面、東は姫路・大坂・京・江戸と、主要地までの距離も表示されています。ここを西へ、青山の中央を東西に西国街道が通り、今でも古い建物が所々に残っています。江戸時代、青山村には「継飛脚番所」があり、大坂・長崎御状箱を継送(つぎおくり)していました。この道標は、1977年(昭和52年)姫路市指定文化財に登録されました。
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教專寺
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教專寺(きょうせんじ)の松は、本堂建立記念として植えられ「葉わけの松」と名付けられましたが、山陽道を往来する人達が変な松に気づいて振り返ることから「みかえりの松」と呼ばれていたそうです。現在の松は二代目だそうです。
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旧青山村庄屋屋敷
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青山村庄屋・菅原家は菅家の流れをくむと伝えられています。江戸時代、庄屋として継飛脚番所も差配していたそうです。幕末には、屋敷内に寺子屋「廣観黌(まなびや)」を開設しました。
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稲岡神社
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稲岡山の南麓、祭神は豊受姫大神と稲丘太神でどちらも稲の霊に関係した神様です。稲岡神社は絵馬が有名で江戸時代のものが多く、中でも「おかげ参り図」の絵馬は、1985年(昭和60年)兵庫県の指定文化財に登録されました。
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素麺業肇基記念碑
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素麺業肇基(はつき)記念碑は、稲岡神社の境内にあり、昭和初期まで盛んだった素麺業の昔を偲ぶために建立されたそうです。1841年(天保12年)青山に生まれた永澤治三郎は、明治20年代後半、農業の副業として素麺製造に取り組み「素麺組合」を設立し、初代組合長となりました。当時、青山北部に水車を動力とした製粉業や素麺を箱詰めする箱製造業が栄えたそうです。
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人丸神社
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柿本人麻呂(万葉集の代表的な歌人で人丸(ひとまる)ともいう。)を祀っている神社で、本殿は方形造りの宝殊(ほうじゅ)を載せた珍しい屋根が特徴です。
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浅陰沼跡
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浅陰沼(あさかけぬま)は、稲岡山西の麓・青山公園内にありました。柿本人麻呂がこの地に住みついたとき、遠く「岩見の国(現在の島根県浜田市周辺)」にいる妻の夢をよく見られたといわれ、当時、この辺りを「妻見ケ丘」と呼ばれていたそうです。
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<柿本人麻呂の詩歌>
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「青山や あさかけ沼の みかくれに あはんとすれど 逢うよしもなし」
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和泉式部の腰掛石
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和泉式部が大きな岩に腰掛けて歌を詠ったといわれています。東麓に青山八景の一つを歌った歌碑があり、その岩が「和泉式部の腰掛石」と伝えられています。
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晋賢堂山・法燈寺跡
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法光上人が開基した「晋賢堂山(ふげん)・法燈寺」の跡と伝えられています。当時は、参拝者で大変賑わっていたそうです。
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宗全寺(そうぜん)は、播磨国守護・山名宗全の一族や家臣の菩提を弔うために建立した寺だそうです。今も残る「青山字塔の内」は、宗全寺の五重塔が建っていたそうです。
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製紙組合の碑
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紙の製法は、1884年(明治17年)青山村の山口重太郎氏が大阪から伝えたそうです。明治中期~大正にかけ青山・高岡で和紙の製造が盛んになり、製紙の創始者で組合の人々の世話をして功のあった「米田勝松氏」をたたえ建立されました。
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青山古戦場跡
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黒田官兵衛の初戦の地・青山古戦場跡です。青山合戦で官兵衛が陣取った「青山」とは、現在の下手野の「船越山」のことで、当時は「瓦山」と呼ばれていました。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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