旧坂越浦会所
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行政や商業などの事務をとるための村会所として、1832年(天保3年)に建築されました。この会所は、赤穂藩の茶屋として建てられ、2階に藩主専用の部屋「観海楼(かんかいろう)」が設けられています。
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小倉御前の墓
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小倉御前の墓・五輪石塔は、南北朝時代の後亀山天皇の皇子・小倉宮の墓と伝えられています。
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大避神社
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大避神社(おおさけ)は、延喜式(平安時代中期に編纂された格式のこと)以前の創建といわれ、秦河勝、天照皇大神、春日大神を祀っています。拝殿両翼の絵馬堂には、40数枚におよぶ大小の絵馬が掲げられ、中には明和年間のものもあり、舟絵馬としては日本で最古のものだといわれています。毎年10月の第2日曜日に行われる例祭「坂越船まつり」は、瀬戸内三大船まつりの一つに数えられ、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。
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坂越浦城跡・御番所跡
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室町時代、播磨地方を支配していた山名氏が築いたといわれています。その後、龍野城主・赤松村秀が支配したといわれています。江戸時代には、赤穂藩の御番所が置かれ、坂越浦に出入りする船の監視をしていました。
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児島高徳郷・墳墓
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太平記に述べられる南北朝時代の武将。
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妙見寺
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宝珠山・妙見寺(ほうじゅさん・みょうけんじ)は、行基によって創建され、空海の再興を経て、盛時には16坊5庵を抱えた大山岳寺院でした。観音堂は、妙見寺の奥の院で宝珠山上に建立されましたが、大破したため後に現在地で再建されました。山の斜面に持たれかけるように造られた懸造(かけづく)り構造で、坂越湾の絶景が望めることでも有名です。
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生 島
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生島
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御旅所
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坂越湾内に浮かぶ周囲1.63kmの小島です。大避神社(おおさけじんじゃ)の神地として人の入ることを禁じ、原始の状態が保たれています。生島は、湊河勝の墓所が築かれてから神地として入らずの森となり、島全体が原生林に覆われています。原生林の大部分は常緑樹で、特に蔓生植物(まんせい:植物の茎がつるとなって生長すること)が繁茂(はんも)した生島樹林は、1924年(大正13年)12月9日、国の天然記念物に指定されました。生島の御旅所と船倉は、船まつりの渡御が行われる所で、祭りに用いられる和船が納められています。
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海の駅・しおさい市場
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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播磨観光情報「のんびり播磨、ゆっくり散策」は、播磨の観光スポットや観光ルート、播磨の伝統文化、播磨のうまいもん、播磨のお祭りやイベント、播磨の文化が体験できる体験情報など、キメ細かく紹介する観光情報サイトです。
2017年12月21日木曜日
生島と古い町並みが残る「坂越」を訪ねて 2
赤穂市のミュージアムと文化財を訪ねて
赤穂市立民俗資料館
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この民俗資料館は、江戸から昭和中期に使われていた生活用具や農耕具・大工・桶・鍛治といった職人の道具、教科書・戦時資料・戦後復興の電化製品など市民等から寄贈された品約8,000点が展示されています。この建物は、1905年(明治38年)の塩専売法施行に伴い設置された大蔵省塩務局の庁舎で、1908年(明治41年)に地元大工により建築された日本最古の塩務局庁舎だそうです。1986年(昭和61年)兵庫県重要有形文化財の指定を受けました。
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赤穂市立歴史博物館
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赤穂の塩、赤穂城と城下町、赤穂義士、旧赤穂上水道の4つをテーマにした歴史博物館です。
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日本三大上水道・赤穂上水道
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赤穂で最初に上水道を整備した池田家の代官・垂水半左衛門は、1614年(慶長19年)~1616年(元和2年)、千種川の水を赤穂城下まで導入し、地下を網の目のように走り、城内や町家に給水されました。町を歩くと今もその遺構や町家の井戸(汲出桝:くみだします)が残っています。これが日本三大上水道の一つ「赤穂上水道」です。
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赤穂八幡宮
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赤穂八幡宮の祭神は、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇で、1406年(応永13年)鳥撫村(現在の天和)銭戸島から移されたと言われています。同八幡宮は、大石内蔵助ゆかりの布袋額・櫨の木・石灯篭などをはじめ、赤穂義士関係の書状などが数多く残されています。赤穂八幡宮獅子舞は、2005年(平成17年)兵庫県の無形民俗文化財に指定されました。
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普門寺
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当寺の十一面千手観音の坐像は、1949年(昭和24年)国・重要文化財に指定されています。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2017年1月4日水曜日
智頭(ちず)急行・始発駅「上郡町」を訪ねて
冨萬寺・萬勝院
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冨萬寺(とどまじ)・萬勝院は、冨萬高原の山頂に行基菩薩の開祖と伝えられる寺院です。通称・ぼたん寺と呼ばれ、5月には140種2,000株を超える和洋多品種の「ぼたん」で有名なお寺です。また、山菜の精進料理(要予約)も有名です。
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白旗城址
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白旗城址(しらはたじょう)は、白旗山山頂に広がる全長470㎡の山城跡です。南北朝時代、赤松氏卒いる北朝軍は、新田義貞卒いる南朝軍の激しい攻撃をしのいだことから難攻不落の名城と伝えられています。国指定史跡に指定。
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小野豆高原
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小野豆(おのず)の集落は、壇ノ浦の合戦に破れた平家一族の重臣・平経盛(つねもり:平清盛の実弟)と家臣4人が、この山里に逃れてきたといわれています。小野豆に逃れた経盛は、源氏の追手に捕らえられ帰らぬ人となり、その後、家臣により五輪塔(平家さん)が祀られました。標高300mのこの集落は、上郡町に残る7つの山頂集落のひとつで高田周辺には、城跡や新山寺村跡があり、小野豆の高いところに今も神社や遥拝所(ようはいじょ)が残っています。
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東蔵
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上郡町の東蔵は、江戸末期から銘酒で知られた西脇酒造株式会社の醸場として、大正期に建造、平成7年修復されました。現在、醸造に使った道具類の展示や音楽・芸術の発表の場、ギャラリーとして活用されています。
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智頭急行と上郡駅
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智頭急行
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上郡駅
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1994年(平成6年)智頭急行が開業。智頭急行線の始発駅として鉄道ファンには有名です。上郡駅には智頭急行の他に、鳥取県の倉吉駅(一部は鳥取駅)と京都駅を結ぶ特急「スーパーはくと」が1日7往復、鳥取駅と岡山駅を結ぶ特急「スーパーいなば」が1日6往復しています。
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井ノ端墳墓群
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井ノ端墳墓群(ふんぼぐん)は、弥生時代後期につくられた墳丘墓(ふんきゅうぼ)です。この墳丘墓は、当時、村を治めた有力者が葬られています。「森と水のホテル・上郡ピュアランド山の里」の隣にあります。
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ピュアランド山の里
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髙嶺神社
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972年創建。播磨の国・西の天王さんは、厄除・農耕の神として知られています。4月の第2日曜日豊作を祈る農耕儀礼「お田植祭」が行われます。境内入口にある「千年杉」や秋の紅葉も有名です。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2016年12月22日木曜日
相生の古い町並みと大嶋城跡を訪ねて
相生の由来
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大嶋城(後記参照)の城主となった海老名氏(相模国:さがみのくに:現在の神奈川県海老名市出身)が、浦名として呼ばれていた「おお」に、相模国生まれだったことから「相生(あいおい)」と名付けられたそうです。「造船のまち」として知られている相生市は、年間を通じて瀬戸内海特有の穏やかな気候風土に恵まれ、瀬戸内海国立公園・西播丘陵県立自然公園など自然景観に恵まれたところです。
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万葉の岬
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国道250号(通称:七曲り)をドライブする方の休憩地としても賑わっています。晴れた日には、東は明石海峡大橋、南に四国の稜線、西は小豆島まで見渡せできます。ここから眺める朝日・夕日も見事なものです。瀬戸内海が180度展望できる絶景スポット。
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大石良雄別邸跡
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大石良雄が備中・松山城の城受取りの功により、浅野内匠頭より相生村を私領として賜り、この地をよく来遊していたため、地元では「大石さんの別邸」といわれています。
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相生地区の古い町並み
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佐多稲子が初めて書き下した長編小説「素足の娘」は、1940年(昭和15年)新潮社より刊行されたベストセラー作品です。この作品は、佐多さんが14歳~16歳(大正7~9年)にかけて、父が播磨造船所に勤めていた際の生活を描いたモノです。この相生地区は、酒蔵や魚屋さんが建ち並び、その頃の面影を今も残しています。
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相生ボート公園
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普段は波静かな相生湾に面した、国道250号沿いにある公園です。ペーロン祭の際には、海上花火大会・ペーロン競漕の観覧席としてにぎわいます。
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道・海の駅、あいおい白龍城
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相生のまつり「ペーロン祭」がその名の由来。相生湾にエンペラーオレンジの鮮やかな建物で、海の駅を併設した道の駅です。「ペーロン温泉」や特産品売場・和風レストラン・ペーロン祭で使用されるペーロン艇を格納した「ペーロン海館」があり、家族揃って楽しめます。
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相生市歴史民俗資料館
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1985年(昭和60年)に設立、1993年(平成5年)に改装オープンしました。館内は、歴史と民俗の2つのコーナーからなり、「歴史コーナー」は古代から相生が、中世東寺領矢野荘と呼ばれた頃の紹介、近世の相生、近・現代の相生の4ブロックから構成され、国指定史跡(赤松氏城跡)感状山城跡の出土品を展示しています。また、「民俗コーナー」には、生活用具・生産用具・信仰資料などが展示されています。
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大島城跡
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大島山は、相生湾に浮かぶ美しい離れ島でした。赤松氏が船橋をかけて築いた城は、「別名・浜御殿」と呼ばれるほど美しかったそうです。1336年(建武3年)、下司職(げししき:現地で実務を取っていた下級職員のこと。)だった7代・景知は、赤松円心に属し、弟の詮季や同族泰知と共に白旗城に立て籠もって新田義貞軍と戦いに戦功をあげましたが、留守中の大島城は、新田軍に焼き落とされたそうです。1710年(宝永7年)前川新右衛門が那波新田を開墾した際に陸続きとなったそうです。大島山は藤の名所として知られ、当時の武将などが「藤見の宴」に興じたといわれています。
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住吉神社
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善光寺
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現在、頂上には住吉神社と善光寺、地蔵堂、桜公園がありますが、残念ながら、城の遺構は残っていません。
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神崎与五郎孝子の井戸
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赤穂義士・四十七士の一人、神崎与五郎が一緒に暮らしていた母の目の病を治すため、毎日無心で祈願していると「井戸水で目を洗うよう」お告げがありました。与五郎は、早速、母の目をその井戸水で洗ったといわれています。
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ど根性大根大ちゃん生誕の地
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2005年(平成17年)アスファルトを押しのけて育ち、その「ど根性」ぶりが話題となった「ど根性大根・大ちゃん」の生誕の地です。その後、折られたり、栄養不足になったりと数々の困難を水耕栽培や芽の培養を経て、元気を取り戻しています。
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