三木露風生家
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童謡・赤とんぼの作詞者・三木露風の生家は、鶏籠山(けいろうざん)の麓にある龍野城の埋門(うずみもん)の坂下にあり、1871年(明治4年)~1889年(明治22年)の間に建築されたそうです。露風は、1889年(明治22年)6月23日この家で生まれました。操(みさお)と名付けられました。露風が6歳の時、両親は離婚し、母親(かた)は弟を連れて実家の鳥取に帰ってしまい、露風も祖父に引き取られました。この生家は、露風が母と過ごした思い出が残る大切な場所です。生家は、歴史的景観形成地区(龍野町龍野地区)の武家地景観通り沿いに建っています。武家地は、和瓦葺き、漆喰壁や焼板壁の家屋と漆喰壁の土塀からなる町並みが特徴です。生家の整備は、武家地景観に配慮して、外観はできる限り現状のまま残し、長い間使用されてきた材料の持つ趣を活かすため、古い瓦や建具などを再利用しています。生家を親しみやすい施設にするため愛称を募集、全国から500点を超える応募がありました。幼少期の露風が母と過ごした思い出の残る生家に訪れ、露風に忍んでいただきたいとの思いから、「露風とともに」に決まったそうです。生家には、露風の年表や10代まで住んでいた生い立ちの説明があります。尚、露風の作品や資料については、露城館に展示されています。
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矢野勘治記念館
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ここ露城館には、龍野が生んだ文化人 三木操(露風)、内海信之(泡沫・ほうまつ、青潮・せいちょう)、矢野勘治(興安嶺・こうあんれい)、三木清ら4氏に関する文献や資料が展示されています。尚、明治・昭和時代の銀行家で歌人の矢野勘治氏の記念館は、彼が晩年を過ごした自宅を利用して作られ、露城館と庭続きになっています。
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龍野文学館・露城館
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たつの市立武家屋敷資料館
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建物自体が資料館となっており、主屋は天保八年の頃に建築されたものと推定されています。当時の武家における生活の様子を垣間見る事が出来ます。
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うすくち醤油資料館
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龍野醤油醸造の始まりは、1578年(天正15年)と伝えられています。昭和初期まで蔵人が使っていたこうじむろ・桶・樽などの製造用具、文献などが揃えてあり、醤油造りの今昔を見る事が出来ます。醤油会社本社であったレンガ造りの建物は、国の登録有形文化財に登録されています。
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下川原の町並み
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龍野御坊・円光寺
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宮本武蔵が滞在し、武道の修行を積んだお寺で知られています。
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龍野の古い町並み
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菊屋酒店
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相生橋周辺の町並み
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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播磨観光情報「のんびり播磨、ゆっくり散策」は、播磨の観光スポットや観光ルート、播磨の伝統文化、播磨のうまいもん、播磨のお祭りやイベント、播磨の文化が体験できる体験情報など、キメ細かく紹介する観光情報サイトです。
2018年7月1日日曜日
小京都「龍野」の市街地を訪ねて
ラベル:
西播磨の観光、たつの市・太子町を訪ねて
2017年12月21日木曜日
斑鳩寺と太子山公園とその周辺を訪ねて
斑鳩寺
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斑鳩寺(いかるがてら)は、法隆寺領播磨国斑鳩荘の中核として創建されました。仁王門や講堂、聖徳殿、三重塔など伽藍(がらん)配置は法隆寺によく似ています。創建当時は、七堂伽藍(しちどうがらん)、数十の子院(しいん)が甍(いらか:屋根の頂上部分)を並べ壮麗(そうれい)を極めていました。出雲の尼子氏(あまごし)の侵入で播磨は大混乱となり、1541年(天文10年)4月7日夜明け、全焼してしまいました。その後、円勝院昌仙(えんしょういん まさのり)らが龍野城主・赤松政秀らの援助を受けてほぼ再建され、地元では、「お太子さん」として広く信仰を集めています。
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太子町立歴史資料館
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1993年(平成5年)オープンした太子町立歴史資料館は、荘園文化を中心に中世の人々の生活について展示されています。
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太子山公園
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西播磨随一のレジャーランド「太子山遊園地跡」
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ここは以前、播電㈱経営の太子山遊園地があったそうです。1912年(明治45年)の開園当時は、西播磨随一のレジャーランドで大変な賑わいだったそうです。竹下総理時代の1億円創生事業を活用し、桜を200本植樹し、太子山公園として再整備されました。山の麓には、D51が展示され、山頂広場には聖徳太子像があります。
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<播電株式会社とは>
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1909年(明治42年)、網干港駅~觜崎(はしさき:たつの市神岡町)駅間を太子龍野電気鉄道株式会社が開業。1925年(大正14年)新会社播電株式会社が譲渡。以後、1934年(昭和9年)まで、延べ25年間地元の人達から親しまれた鉄道だそうです。
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太子公園入口
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聖徳太子像
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太子町立民俗資料館
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民俗資料館(旧尾野家住宅)は、太子町福地にあった民家を移築し、1978年(昭和53年)オープンしました。主屋は江戸時代末期に建てられたもので、芸州流(今の広島県西部を中心に見られる手法)で葺かれた茅葺き屋根の平屋で、日常の生活に使っていた民具を展示されています。隣の土蔵(どぞう)は、1829年(文政11年)に建築された農家建築で、2009年(平成21年)8月、兵庫県登録有形文化財に登録されました。
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徳道上人堂
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徳道上人(とくどう)は、大和国の長谷寺を建立し、城崎温泉寺、宝塚中山寺など各地の寺院建立に関係し、人々に篤い信仰心を与える仏教の布教に寄与した奈良時代の僧です。太子町矢田部西端に西国33ケ所霊場開山の上人の堂があります。
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宮本武蔵生誕の地
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1762年(宝暦12年)「播磨鑑」に宮本武蔵が太子町で生まれたと記されています。晩年の武蔵を知る唯一の史料「五輪書」にも武蔵が自ら「生国播磨の武士…」と記載しています。しかし、武蔵に関する資料は、2回の大火災で全て灰となってしまい、現在の武蔵生家跡には、古井戸が残っているのみです。
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オーナー募集
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地元農家が丹精こめて育てたサツマイモ・じゃがいもを掘ることで収穫の喜びを味わえます。どちらも事前予約が必要です。サツマイモは11月上旬頃まで。ジャガイモは5月下旬~6月まで
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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ラベル:
西播磨の観光、たつの市・太子町を訪ねて
賀茂神社と室山城跡を訪ねて
シーボルトも絶賛した播磨灘
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オランダ商館・医師シーボルトは1826年長崎から江戸へ出向く途中、海路で室津に立寄り、その時のことを記した「江戸参府紀行」で、賀茂神社(本殿を含めて8棟の建造物が国の重要文化財に指定)から播磨灘を眺め「日本で最も美しい景色の一つ」とたたえています。
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湊口御番所
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大阪城の巨石
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この巨石は、豊臣秀吉が大阪城築城の際、石垣に使用するため、西国大名が運ぶ途中たまたま落としたものと伝えられています。灯籠の端と呼ばれている船着場近くの海底に沈んでいました。1972年(昭和47年)室津漁港修築工事の際引揚げられ湊口番所跡に置かれています。
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賀茂神社
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賀茂神社は、京都の上賀茂神社と同じ祭神(加茂別雷神)をまつり、流造(ながれつくり)、桧皮葺(ひわだぶき)の五つの社殿が並び、本殿の前に唐門を建て、回廊がとりかこんでいます。本殿と8棟の建築物が国の重要文化財に指定されています。
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兵庫県天然記念物・ソテツ群
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この神社は、本殿と拝殿が境内を隔てて建っているのが特色で、飛び拝殿といい、非常に珍しいものだそうです。境内にソテツの群生があり、日本最北端のソテツ群として兵庫県の天然記念物にも指定されています。
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賀茂神社の小五月祭り
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賀茂神社の例祭として春に開催されます。同じ例祭の「夏越祭り」が男の祭りであるのに対して、「小五月(こさつき)祭り」は女の祭りです。この祭りは平安後期に室津の長者の娘が、賀茂神社へ棹(さお)の歌を奉納したのがキッカケです。今でも女の子はきれいな衣装を着て棹の歌を奉納します。「棹の歌」は兵庫県重要無形民俗文化財に登録されています。この祭は、毎年4月の第1土・日曜日に行われます。
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浄運寺
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貝堀りの井戸
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法然上人が、飲み水に困っている室津の人々のために、貝で掘ったという「淡水の井戸」です。
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室山城跡
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室山城は浦上政宗の居城として知られています。政宗は小寺氏との同盟を結ぶため、1564年(永禄7年)に小寺氏の家老・黒田職隆の娘(黒田官兵衛の妹)と、政宗の次男・浦上清宗の婚礼当日、赤松政秀の奇襲を受けて親子ともに討ち死、城は炎上し廃城となりました。現在城址に遺構はありません。
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西播磨の観光、たつの市・太子町を訪ねて
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