淡口醤油生産量日本一・たつの市
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1587年(天正15年)円尾孫右衛門長村が武士を捨て龍野町で、円尾屋の屋号で酒・醤油の醸造販売を始めたのが龍野醤油の起源といわれています。孫右衛門の祖父は円尾兵庫頭祐則で、播磨の豪族・赤松円心則村五代の孫・円尾河内守の弟で笠松城主(揖東郡西脇)でした。当時は赤松一族やその家臣が武士を捨て、龍野やその周辺に住みつき酒造業で身を立てる者が多かったそうです。龍野はもともと酒造地でしたが、醤油は副次的な産業として一部の酒造業者が手掛けていました。しかし、龍野の水は軟水で酒造りに適さず、しかも鉄分も少ないので淡口醤油に適していました。さらに、醤油造りに必要な良質の大豆と塩(赤穂)が手に入りやすく、醤油の産地としての条件に恵まれていました。このうす口醤油は、関西の味を尊重する家庭や料理屋に評判となり、淡口醤油では「日本一」の生産地となりました。
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播磨観光情報「のんびり播磨、ゆっくり散策」は、播磨の観光スポットや観光ルート、播磨の伝統文化、播磨のうまいもん、播磨のお祭りやイベント、播磨の文化が体験できる体験情報など、キメ細かく紹介する観光情報サイトです。
2018年12月28日金曜日
淡口醤油生産量日本一・たつの市
2018年12月20日木曜日
ランドセルの生産量日本一・㈱セイバン
ランドセルの生産量日本一・㈱セイバン
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1919年(大正8年)たつの市御津町出身・泉亀吉が大阪で泉亀吉商店を開業。当時は、播磨産の皮革を材料に、御津町室津の漁師らが冬場に作った財布やカバン、キセル入れなどを販売していたのが始まりです。1946年、その室津にランドセル製造工場を建設(現室津工場)。1950年代後半からランドセルが普及し生産量が増加し、現在に至る。
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2018年12月19日水曜日
播磨は、釣針の生産量日本一
兵庫県釣針協同組合
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釣り針は、加東市の代表的な地場産品で、江戸時代この地での職祖といわている小寺彦兵衛が苦心の末、土佐から製法を持ち帰ったことで定着しました。国内生産量の約90%を占めているそうです。
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播州釣針協同組合
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播州毛鉤(けばり)は、1830年~1843年(天保年間)に地元の行商人が京都より持ち帰りその製法を広めたといわれています。虫に似せて作る毛鉤は、わずか1cm足らずの鉤に数種類の鳥の羽を絹糸で巻き付け、金ぱく、漆等を使用して、見事に仕上げられていきます。
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1987年(昭和62年)、経済産業省の伝統的工芸品に指定されました。
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2018年12月18日火曜日
播磨は、成牛革の生産量日本一
播磨は、成牛革の生産量日本一
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兵庫県における製革業の歴史は極めて古く、弥生時代後期に大陸からの帰化人が鞣製技術を伝え、その基礎を築いたとみられている。その後、江戸時代中期に全国的な商品経済の発達と姫路藩の重商政策のもとに大きく発展した。
当時、既に地域的な分業が行われており、鞣製部門は市川流域をはじめ西の揖保川流域及び東の猪名川流域に沿った地域に発達し、加工部門は姫路城下町の中二階町から東二階町にかけて展開していた。また原皮は、大坂商人を通じて調達され、大地主のもとで村民による賃加工が行われていた。
明治期になって近代的鞣製法が取り入れられ、大正期に軍需専門化が行われ、急速に企業化が進んだ。戦後は強制的な軍需専門化は分裂し、小規模民需産業として再出発した。業界は、昭和26~38年の間に著しい成長を遂げ、昭和40年代の後半に入り、経営の合理化や設備の近代化を進展させた。
現在、姫路市高木・御着・網干、たつの市松原・誉田・沢田及び太子町などが主な産地になっている。
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企業数・出荷額では全国の2分の1以上を占め、特に成牛革の生産量は約7割のシェアを誇っている。
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姫路・西はりま地場産業センターの「皮革(一時製品)」から抜粋
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2018年12月17日月曜日
そろばんの生産量日本一・小野市
そろばんの生産量日本一・小野市
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最盛期の1960年(昭和35年)には年間360万丁を製造。現在は年間約15万丁で、全国生産の約70%を占めている。
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1976年(昭和51年)、経済産業省の伝統的工芸品に指定されました。
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2018年12月16日日曜日
山田錦の生産量日本一・三木市
山田錦の生産量日本一・三木市
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明治末期から大正にかけて「山田穂」という酒米が栽培されていました。大正末期から県立農事試験場で、「山田穂」と「短稈渡船(たんかんわたりぶね)」という酒米品種との人工交配による品種改良事業が行われ、1936年(昭和11年)に今の「山田錦」が奨励品種に指定され、酒米のエースとしてデビューしました。
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三木市は、1988年(昭和63年)には生産量が3,000トンを超え、日本一の「山田錦」の産地となりました。
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2018年12月15日土曜日
播州三木打刃物(大工道具)生産量日本一・三木市
大工道具生産量日本一・三木市
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大工道具としての播州三木打刃物(うちはもの)は、1850年(天正8年)の三木城落城の後、まちの復興のために各地から大工職人が集まり、それに伴って道具を作る鍛冶職人も多く集まったことから発展したといわれています。現在も、鋸(のこぎり)、鑿(のみ)、鉋(かんな)、鏝(こて)、小刀の製造において手作りの技を守り続けています。
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1996年(平成8年)経済産業省の伝統的工芸品に指定されました。
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2018年12月14日金曜日
日本一の三日月の大ムク・佐用町
日本一の三日月の大ムク
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1971年(昭和46年)兵庫県の天然記念物に指定されました。この大ムクは、推定樹齢800年・幹回り約10m・樹高19mの大木で、ムクの大木としては日本一といわれています。
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2018年12月13日木曜日
手延べそうめん生産量日本一・たつの市
手延べそうめん生産量日本一・たつの市
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揖保乃糸(いぼのいと)は、兵庫県手延素麺協同組合が有する手延べそうめんの商標で、文字通り糸のように細く美しい姿が特徴です。主に揖保川中流域のたつの市で毎年10月から翌年4月の限られた期間に生産され、奈良県の三輪そうめんと共に、日本を代表するそうめんです。たつの市はヒガシマル醤油をはじめとする「うすくち醤油」の有力産地で、揖保乃糸と共に兵庫県の名産品として知られています。1997年(平成9年)「揖保乃糸
資料館 そうめんの里」をオープンし、館内で手延べそうめんの歴史、製めん工程、そうめん料理を提供する「庵」など手延そうめんにちなんだ情報を提供。
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揖保乃糸資料館・そうめんの里
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2018年12月12日水曜日
燐寸生産量日本一・姫路市
燐寸生産量日本一・姫路市
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マッチは、1875年(明治8年)東京で始まり、国内市場を満たすと輸出中心となり、貿易に有利な大阪・神戸近辺に業者が集積。その後、輸出が不振となり、外国企業の進出、過当競争等の苦難を乗越えるため、1952年(昭和27年)調整組合の設立により克服。設備の近代化により業界の体質改善にも成功。1970年代、使い捨てライターの普及による需要が落ち込み、その対策として、土地の有効活用(駐車場、テニスコートなど)やラベル印刷技術を活かした印刷業界への転身、広告マッチ販路を活かした販促商品の開拓(紙おしぼり、ティッシュぺーパーなど)、他分野へ経営転換や多角化を促進した。生産地は,神戸から西へ移り、国内の90%が姫路市で生産している。また、2005年(平成17年)、国産マッチ生誕130周年記念式典が神戸で開催された。
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膠(にかわ)生産量日本一・姫路市
膠生産量日本一・姫路市
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にかわ製造業は、日本最大の皮革産地である姫路・龍野地域において、原材料の皮革屑や牛骨等の入手が容易であったことから、明治の初めに姫路市周辺に興った。
姫路周辺でも網干地区は20世紀初めに大規模産地として有名になった。さらに産地は、明治40年代から大正期にかけて余部、飾磨、御着などに広がり、昭和に入ると龍野、三坂も加わった。当初は農家の副業的なものであったが、大正になって企業化され、産地としての体勢が整った。その後、昭和32年には企業数が78に増え、全盛期を迎えた。
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にかわの主な用途は、紙器(紙箱、製本、事務用品)、紙管(紙、布や繊維などの巻き芯や郵送用の円筒等)、サンドペーパー等の研磨紙、マッチなどである。
また、和にかわ(三千本膠、京上膠など)は文化財の修復、日本画、製墨、和紙、湊工芸、紙人形、版画、ガラス工芸等の伝統産業に大きく貢献している。ゼラチンの用途は、食用(デザートや菓子、清酒などのアルコール類の清澄剤、ハム等の粘着剤)、医薬用(カプセル、ハップ剤、錠剤等)、写真用(各種フィルム、印画紙、コロタイプ印刷等)、工業用(感圧紙、製本用接着剤等)、化粧品用(ポリペプタイドとしてシャンプー、クリーム、ローション等)など。コラーゲンペプチドは健康食品、化粧品等に幅広く利用されている。
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姫路・西はりま地場産業センターの「にかわ・ゼラチン」から抜粋
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2018年12月11日火曜日
鎖生産量日本一・姫路市
鎖生産量日本一・姫路市
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姫路市白浜町を中心に40社の鎖の製造業者があり、全国の約70%を生産しています。ここ白浜町では、徳川中期、松原釘の火造鍛造技術が発達、明治中期には船釘の製造が主流になり、明治末期、姫路市白浜町出身の瀬川長蔵氏が大阪で製鎖業を営み、受注量が増大し、大正初期、姫路市木場に工場を建設したのが始まりといわれています。
姫路の鎖は、線径が数十ミリから飾りチェーン等の細かいものまであり、材質もアルミ製品など多様化している。
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2018年12月10日月曜日
油菓子生産量日本一・姫路市
油菓子生産量日本一・姫路市
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油菓子は長崎に伝えられたものが全国各地に広がったものですが、姫路では、藩主・酒井忠以の時代以降、藩の援助育成のもと、全国各地から集められた良質の小麦粉や菜種油等を使ったのが「姫路駄菓子(油菓子・かりんとう)」で、昭和初期まで姫路市の船場本徳寺の門前に駄菓子屋が軒を連ねていましたが、戦災で焼失。業者も市内各所に分散しました。戦後は、全国各所にあった業者が減少する中、姫路の油菓子「姫路駄菓子」は、全国で有名となり、その名を馳せることとなりました。1952年(昭和27年)姫路菓子同業組合が設立され、品質の向上や販売方法の研究などを行い、数年おきに開催される全国菓子大博覧会にも出展し、名誉総裁賞など数多くの賞を受賞しました。
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