感状山城跡
|
||
|
|
||
標高300mの感状山(かんじょうさん)の尾根に築かれ、人の手による破壊などもなく、石垣や建物跡・礎石、井戸跡などの遺構もよく残っており、播磨地方の代表的な中世の山城遺構だそうで、国の史跡に指定されています。また、1336年赤松則祐がこの城に立て篭って、新田義貞の進攻を約2か月近く足止めしました。後に、当時の室町幕府の将軍・足利尊氏から感状(主君などが部下の戦功を賞して出した文書のこと。)を与えられたことから、感状山と名付けられたそうです。
|
||
|
||
羅漢の里
|
||
羅漢(らかん)の里は、アスレチックや川遊び、キャンプ場やコテージも完備され、小川の流れる森林のスポットです。また、石窯パン焼きや陶芸体験も楽しめます。他にも、釈迦如来像を中心とした16体の羅漢像や近隣には、感状山城跡もあります。地元の人達が運営する特産品販売店もあります。
|
||
|
||
矢野の大ムク
|
||
この大ムクは、根回り4.8m、高さ約15m、幹の高さは約9m、樹齢推定600年以上といわれています。この堤にこのような大木が1本だけ残ったのは、この地に昔、荒神社の杜があって、御神木としてあがめられ、大切に保護されたためといわれています。兵庫県指定文化財天然記念物に指定
|
||
|
||
和泉式部之碑
|
||
「苔莚(こけむしろ)敷島の道に行きくれて、雨の内にし、宿る木のかげ」和泉式部は平安時代中期の女流歌人で、「和泉式部(いずみしきぶ)日記」「和泉式部集」など恋の歌で有名です。書写山参詣の帰途、娘の小式部を若狭野に訪ねる式部伝説の地です。」
|
||
|
||
浅野陣屋跡
|
||
|
|
||
赤穂・浅野家の分家、若狭野・浅野家の陣屋跡です。約500坪の敷地には、藩札を作っていた札座跡や本宅・内庭・倉庫・馬屋・武器庫などがありました。近年その配置図も発見されています。本家は浅野内匠頭の刃傷事件で取つぶされましたが、それより前1671年(寛文11年)、若狭野12ケ村三千石の直参旗本(じきさんはたもと:江戸幕府に直属した一万石以下の武士のこと)として明治まで続きました。ちなみに、当陣屋の表門は相生市内の西法寺に移築されたそうです。
|
||
|
||
若狭野天満神社とアジサイ
|
||
地元では、アジサイ神社として親しまれています。
紫や青・ピンク・白など20種、約2,000本のアジサイが鑑賞できます。毎年6月の最終日曜日には、「あじさいまつり」も行われています。 |
||
|
||
下記の地図で所在地をご確認ください。
|
||
|
|
||
播磨観光情報「のんびり播磨、ゆっくり散策」は、播磨の観光スポットや観光ルート、播磨の伝統文化、播磨のうまいもん、播磨のお祭りやイベント、播磨の文化が体験できる体験情報など、キメ細かく紹介する観光情報サイトです。
2016年12月20日火曜日
浅野陣屋跡と羅漢の里周辺を訪ねて
2016年12月19日月曜日
古くから陸海の要として栄えた「室津」を訪ねて
|
室津について
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
室津はたつの市の南西部、瀬戸内海に面した海岸線10kmの瀬戸内海国立公園の一部で、地元では「室津七曲がり(ななまがり)」といわれ風光明媚な美しい町です。奈良時代、摂播五泊(せっぱんごはく)の一つに定められ、海上と陸上交通の要として「室津千軒」と呼ばれるほど栄えました。
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
<摂播五泊とは>
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
本陣跡と姫路藩御茶屋
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
江戸時代になると、参勤交代の西国大名の殆どが海路で室津港に上陸し陸路を進んだため、港の周辺は日本最大級の宿場町だったそうです。通常、宿場におかれる本陣は、1軒多くとも2軒ぐらいだそうですが、室津には6軒(肥後屋・肥前屋・紀伊国屋・筑前屋・薩摩屋・一ツ屋)と姫路藩御茶屋が置かれていました。(北から順に)
|
||||||||||
|
本陣・紀伊国屋
|
||||||||||
|
本陣・肥後屋
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
本陣・筑前屋
|
||||||||||
|
姫路藩・御茶屋跡
|
||||||||||
|
本陣・薩摩屋
|
||||||||||
|
本陣・肥前屋
|
||||||||||
|
本陣・一ツ屋跡
|
||||||||||
|
しかし、明治に入ると参勤交代の制度が無くなり、内陸部に鉄道や道路が敷かれたため、室津は急速に衰退していきました。
|
||||||||||
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
たつの市立室津海駅館
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
たつの市立室津海駅館は、二階建てが許されなかった当時としては珍しい建物で、豪商・嶋屋の繁栄ぶりが偲ばれます。
|
||||||||||
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
見性寺
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
お夏・清十郎物語
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
清十郎生家跡
|
||||||||||
|
また、室津は数々の文豪がロマン香る地として取り上げてきました。井原西鶴・近松門左衛門作の「お夏・清十郎物語」、歌舞伎や映画でお馴染のイケメン・清十郎は室津の造り酒屋の息子でした。
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
たつの市立室津民俗館
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
豪商「魚屋」を改修してできた民俗資料館。脇本陣として残った民家には23もの部屋があり、たたみの数は168枚もあります。豪華な館内はかつての繁栄ぶりがうかがえます。
|
||||||||||
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
戦前、木村旅館に滞在した谷崎潤一郎は、「乱菊物語」を書き、竹下夢二は木村旅館の女主人をモデルに「室津」を描き残しています。また、司馬遼太郎さん、平岩弓枝さんも室津を訪れています。
|
||||||||||
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
下記の地図で所在地をご確認ください。
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
|
||||||||||
|
|
2016年12月16日金曜日
新舞子浜と梅のまち「御津町」を訪ねて
皇子権現
|
||||||||
地元では、「ごんげんさん」として親しまれています。病気や歯痛に御利益があるといわれています。
|
||||||||
|
||||||||
新舞子浜
|
||||||||
関西一の遠浅で美しい新舞子浜。潮が引くと数百メートル先の沖合まで陸地になります。4月から5月には、取り方が独特な「マテ貝」が楽しめる潮干狩り。夏場は、海水浴場として家族連れで賑わいます。
|
||||||||
|
||||||||
綾部山梅林
|
||||||||
24haの広大な綾部山に「一目2万本」の梅林は、西日本一といわれています。2月中旬になると梅が咲き、梅の香りに包まれる綾部山、眼下には瀬戸内海国立公園が一望できます。
|
||||||||
|
||||||||
菜の花畑
|
||||||||
綾部山梅林の前、15ha以上の黒崎一帯の畑には「菜の花畑」が広がります。
|
||||||||
|
||||||||
御津自然観察公園・世界の梅公園
|
||||||||
綾部山の西に立地する「世界の梅公園」は、日本・中国・韓国・台湾の梅、約350品種・約1,800本が植樹されています。
|
||||||||
|
||||||||
圓融寺
|
||||||||
739年(天平11年)、行基菩薩が開基したといわれています。1441年、嘉吉の乱で焼打ちにあいますが、1556年(弘治2年)再興されました。仁王門の金剛力士像は、萩の大木を「運慶」が刻んだといわれています。播磨西国第8番霊場で、本尊前に安置されている観音像の眼から涙がにじみ、「なみだ観音」として話題になりました。
|
||||||||
|
||||||||
道の駅みつ
|
||||||||
|
||||||||
下記の地図で所在地をご確認ください。
|
||||||||
|
|
||||||||
登録:
投稿 (Atom)







