姫路ゆかたまつり
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「姫路ゆかたまつり」は、姫路城の守り神である長壁神社の夏祭りです。江戸・吉原の高尾太夫を落籍し、風流大名と呼ばれた榊原政岑が始めたといわれています。ゆかたを着て城下町をそぞろ歩きしませんか。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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播磨観光情報「のんびり播磨、ゆっくり散策」は、播磨の観光スポットや観光ルート、播磨の伝統文化、播磨のうまいもん、播磨のお祭りやイベント、播磨の文化が体験できる体験情報など、キメ細かく紹介する観光情報サイトです。
2017年9月5日火曜日
長壁神社の「姫路ゆかたまつり」
明石市の和菓子処を訪ねて
明石市の和菓子
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城下町として栄えた明石のまちには伝統的な和菓子の老舗があります。どのお店もこだわりの味を守り、明石らしい小粋な趣向の和菓子を提案しています。明石大橋や明石城、明石鯛、蛸、また、明石海苔や蛸など明石の名産を使用したお煎餅も有名です。
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たこ煎餅
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2017年9月4日月曜日
たつの市の和菓子処を訪ねて
たつの市のうす口醤油饅頭
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醤油饅頭は、兵庫県、播州龍野の名産品である、「うす口醤油」 を使用した蒸し饅頭です。もともとは龍野で誕生し、今では西播磨の名物として、近隣の市町にも広まりました。外生地に練り込んだ醤油のほのかな香りと、北海道産小豆を使ったこし餡の調和が、絶妙の風味を生み出しています。
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2017年9月3日日曜日
姫路市の「灘のけんかまつり」
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2017年9月2日土曜日
播磨は日本酒のふるさと
播磨は日本酒発祥の地
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庭田神社
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「神様にお供えしたご飯にカビが生えてきたので、それでお酒を作って、神様に献上し宴を行った」これは、約1,300年前(奈良時代)に編纂された「播磨国風土記」の一節で、日本で初めて麹(こうじ)を使って日本酒を造ったと記述されています。その造った場所は、兵庫県宍粟市の「庭田(にわた)神社」といわれています。
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播磨は、酒米・山田錦発祥の地
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ここ播州平野は、酒米の王様「山田錦」発祥の地です。山田錦は、1923年(大正12年)に北播磨で誕生。播磨の土壌で育った山田錦は、特に質がよく、大粒で米の中心に心白(しんぱく:米の中心部の「白く不透明な部分」を指し、心白はすき間が多いため、お酒を作るための麹菌が繁殖しやすく良質の麹(こうじ)が出来るという特徴があります。)があり、タンパク質が少ないため、品質の高い日本酒が造れるそうです。ちなみに、播磨で生産される山田錦は、全国生産量の80%を占めています。
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日本一の酒豪・母里太兵衛
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2014年NHK大河ドラマの主人公・黒田官兵衛の24将(しょう)の一人「母里太兵衛(もり・たへえ:大河ドラマ「軍師・官兵衛」では、速水もこみちさんが演じられていました)」は、播磨の加古郡稲美町で生まれました。福島正則が豊臣秀吉から拝領した名槍(めいそう)「日本号(ひのもとごう)」を、正則から呑みとった逸話を謡ったのが「黒田節」です。この「日本一の酒豪・母里太兵衛」は播磨の出身です。
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黒田節
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京都伏見城に滞留中の福島正則の元へ、黒田長政の使者として使われた母里太兵衛は、正則の屋敷で酒を勧められますが、太兵衛は黒田家中で「フカ」といわれるほどの酒豪でしたが、使者である手前それを固辞しました。しかし、酒豪である正則は、「これを呑み干せたならば、好きな褒美をとらす」と、しつこく勧め、更に「黒田武士は酒が弱い、酔えば何も役に立たない」などと家名を貶(おとし)めました。そこで、太兵衛はこれを敢(あ)えて受け大盃(おおさかずき)になみなみと注がれた酒・数杯を一気に呑み干し褒美として、正則が豊臣秀吉から拝領した名槍「日本号」を所望(しょもう)し、正則は、「武士に二言は無い」と褒美を差し出しました。これによって「呑み取り日本号」という異名と、越天楽(えてんらく:筑前今様)の節回しと共に「黒田節」として、黒田武士の男意気を示す逸話として広く知られるようになりました。
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<はりま酒文化ツーリズムから>
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2017年9月1日金曜日
赤穂市の和菓子処を訪ねて
赤穂市の塩味饅頭
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元禄の頃、赤穂の歴代藩主は、塩をかくし味に使った「赤穂まんじゅう」を京洛の宮家や江戸の将軍家への献上菓子に用いられました。
義士の討ち入り後は、江戸では「義士まんじゅう」「大石まんじゅう」と持てはやされました。天保の時代、江戸の名人・江戸屋藤治郎と平兵衛の父子が赤穂に招かれ 「赤穂まんじゅう」を改良、真っ白な落雁風の皮と、中の餡にひと塩を加えた現在の「しほみ饅頭」が完成したといわれています。(総本家かん川より)
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また、赤穂に塩味饅頭の製造本店を置く元祖播磨屋の記録によると、1853年(嘉永6年)当時の当主であった時三郎が、赤穂の海に沈む半円の美しい夕日の情景に感銘を受け、赤穂の純白の塩と白砂糖と寒梅粉で『汐見まん志う』を創製したのが始まりとされ、そののち、赤穂藩の進言もあって塩味饅頭と改名、代々の赤穂藩主が赤穂の土産として徳川将軍家に献上、茶席などの菓子として賞賛されたと伝えられています。
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