【目 次】 8-2-1
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中播磨ボランティアガイド情報
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2018年12月3日月曜日
2018年12月2日日曜日
播州の名物茶席「龍門寺」
播州の名物茶席「龍門寺」
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不生庭(ふしょうてい)
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盤珪禅師(ばんけいぜんじ)が丸亀藩主・京極家の保護と網干の豪商・佐々木家の援助を受け、1661年(寛文元年)創建した寺で、播州屈指の禅宗寺院です。当時、龍門寺派の寺院は全国で約百ケ寺に及び、僧1,300人・善男善女約6,000人の参拝があり、浜田村の農家の納屋にまで泊まったと伝えられています。今でも寺内には20余の堂塔寮舎(どうとうりょうしゃ)があります。盤珪は浜田村で生まれ17歳で出家、全国を修養し、難解な禅をやさしく説き多くの信者を得ていました。1764年(明和元年)火災にあいますが、それ以前の建物も多く、17棟が姫路市指定文化財に指定され、堂内にも県や市の指定文化財が多くあります。
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献茶式法要
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2018年12月1日土曜日
水城と呼ばれた「英賀城」
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水城と呼ばれた「英賀城」
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英賀城は室町時代の中頃、赤松一族によって造られましたが、1441年5月、城主の赤松祐尚(すけなお)が亡くなり、恋浜(現在の白浜町)の城主・三木氏がここに移り大きな城に建て替え、約140年間、東は的形から西は室津までを領土として英賀は栄えました。1580年(天正8年)1月、羽柴秀吉は三木城を落城させた後、同年2月、英賀(三木通秋)に攻め込みます。秀吉の策略に応じた三木与一兵衛ら5人が秀吉軍を城内に入れたことにより、焼き討ちにあい、英賀城は一夜にして廃墟となってしまいます。
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復元土塁
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英賀城郭区域復元図
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野中口之跡碑
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英賀神社の英賀城土塁跡
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岡芝口之跡碑
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英賀城下の港・田井ケ浜之跡碑
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英賀城は、赤松氏の居城でしたが、三木通近が白浜から移り、新城を築き、土塁をめぐらせ田井ヶ浜に港を開き、一大城郭を築き「岩繁城(いわつきじょう)」と名付けました。NHK大河ドラマ「軍師・官兵衛」でも放映されたが、毛利軍が播磨に上陸したのが「英賀城下の港・田井ケ浜(姫路市飾磨区中浜町)」なのです。
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英賀城本丸之跡碑
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この英賀城本丸跡石碑は、英賀城本丸のあったところに1960年(昭和35年)建てられました。
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井ノ上口之跡・芝の口之跡碑
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井ノ上口之跡碑
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芝の口之跡碑
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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