2017年7月11日火曜日

明石原人発見の地とJR西明石駅周辺を訪ねて

蜜蔵院

密蔵院(みつぞういん)は904年(延喜4年)、観賢僧正(かんげんそうじょう)により創建されました。戦火で全焼し、1976年(昭和51年)本堂が再建されました。地上15mの報徳大地蔵尊や油を掛け開運・健康・安産を祈る油掛地蔵、明石民謡「明石茶碗屋の娘」で知られる茶碗屋の墓などがあります。
明石市船上町3-8

船上城跡

船上(ふなげ)は播磨の豪族・赤松氏が砦を築くなど古くから明石の中心として栄えました。16世紀には別所吉親が三木城の出城を築きましたが秀吉に滅ぼされました。キリシタン大名・高山右近(うこん)が高槻から明石に国替えとなり、船上城を築城しましたが、2年後にキリスト教追放令により領地を没収されました。城跡の小高い丘に小さな祠(ほこら)があり、古城大明神が祀られています。
明石市船上字古城

宝蔵寺

宝蔵寺(ほうぞうじ)は「林の毘沙門さん」と呼ばれています。高山右近がこのお寺を教会として布教したことで知られ、境内に入ると立派な石造十一面観音があります。本堂の前には、雌鹿(めじか)の松やマリア観音の十字架も保存されています。また、明石市指定文化財の木造毘沙門天及び両脇侍像もあります。
明石市林2-1-12

赤石

赤石は沖合130mほどの海底にあり、今は陸地から見ることができませんが、2008年8月に市の調査により赤石の存在が再確認されました。死んだ大鹿の血が赤石になったという赤石伝説があり、赤石が「明石」の地名の起こりと伝えられています。明石の地名には赤石説の他に、淡路から見て「アチラ」の土地(厚岸)というのと、潮流の早いところというものがあります。場所は、R718号線沿いのシーパレス弐番館の南周辺です。

藤江の浦

ここ藤江の浦は、柿本人麻呂や山部赤人らの万葉歌人によって、古くから歌に詠(よ)まれたところです。遠くに見える淡路島や断崖(だんがい)の連なる藤江の海岸は昔から素晴らしい景観であったことがうかがえます。場所は、R718号線沿いの藤江小学校の西側周辺です。

明石象化石発掘地

約200万年前に生息していた明石象(アケボノゾウ)の化石が発掘されたところです。明石象の骨格の複製は明石市立文化博物館と中央体育会館にあります。
明石市大久保町八木

屏風ヶ浦・明石原人腰骨発見の地

帯状に続く崖(がけ)を海上から見ると屏風を立てた様に見えるため、「屏風(びょうぶ)ヶ浦海岸」と名付けられました。この一帯で、1931年(昭和6年)直良(なおら)信夫氏が腰骨を発見し、人類学者・長谷部言人(はせべ ことんど)博士によって「明石原人」と命名されました。現在、西八木の発見地付近には標識が立っています。また、地元の大久保町では、毎年「原人まつり」が開催されています。
明石市大久保町八木
播磨サイクリングロード沿い

光触寺

光触寺(こうそくじ)は、三木合戦時の秀吉軍の本陣跡で境内には太閤腰掛松があります。表門の薬医門は四足の陽明門で、姫路城主・池田輝政の寄進と伝えられています。また、山門の右手に「左巻き地蔵」の祠があります。エプロン(よだれかけ)の下に左巻きの型が付いていることからそう呼ばれています。
明石市大久保町大窪1213

長楽寺

高僧・行基が魚住の泊を築いた際、平安を祈って地蔵尊を彫り、寺を建てて安置したのがこの寺の始まりといわれています。この地蔵尊は「御崎の地蔵」と呼ばれ、この寺の秘佛(ひぶつ)です。また、行基の位牌も残されています。1770年頃、他の地域に先駆け、ここに寺子屋が開かれました。
明石市大久保町江井島448-1

下記の地図で所在地をご確認ください。



2017年7月10日月曜日

源氏物語とその史跡を訪ねて 1

朝顔光明寺

朝顔光明寺(あさがおこうみょうじ)は、城主・小笠原忠真(ただざね)が、現神戸市西区福中城内からここに移しました。境内には光源氏(ひかるげんじ)ゆかりの「月見の池」があり、池のほとりには「光源氏古跡・光源氏月見之池」の碑が建てられています。本堂内陣の格子天井には、狩野(かりの)派の画家・岡田東虎(とうこ)の極彩色の四季の草花が描かれています。(非公開)
明石市鍛治屋町4-6

光源氏とは

光源氏(ひかるげんじ)は「源氏物語」の主人公で、桐壺帝(きりつぼのみかど)と桐壺更衣(きりつぼのこうい)の子で、美貌と才能にめぐまれ、正妻・葵上(あおいのうえ)の他に多くの女性と恋愛、父帝(天皇である父)の妻・藤壺との間に令泉(れいぜい)帝が生まれる。葵上の死後、理想の妻・紫上(むらさきのうえ)を迎え栄華をきわめるが、その死後出家を決意。人物像は在原業平(ありわらの・なりひら)に複数の人物を兼ね合わせたといわれています。
光源氏古跡・月見之池碑
月見の池

浜光明寺

1885年(明治18年)8月9日、山陽道御巡幸中の明治天皇が、浜光明寺(はまこうみょうじ)に宿泊されました。当時の関係遺品は、明治天皇行在所跡として明石市文化財に指定され保管されています。また、墓地には上野の戦いに松石隊を組織して参加した津田柳雪(りゅうせつ)や日本の水産王と言われた大洋漁業の創業者・中部幾次郎(なかべいくじろう)の墓があります。
明石市鍛治屋町5-20

魚の棚

「魚の街・明石」の代表的な商店街です。地元の人が「うおんたな」と呼ぶ魚の棚商店街には、魚屋を中心に練り製品や塩乾物などの店が約100軒余りあります。お昼12時過ぎには「明石の昼網」のセリで仕入れたイキの良い新鮮な魚が店頭にずらりと並びます。

明石港と旧波門崎燈籠堂

明石港は明石と淡路を結ぶ大切な港です。初代明石城主・小笠原忠真が砂船を使って土砂を掘り下げて造りました。その後、代々の城主が改修を行い、「宝の船入り」と呼ばれる活気ある商業港として栄えてきました。旧波門崎燈籠堂(はとさきとうろどう)は、総高7.3mで、江戸時代から残る明石港のランドマークです。2014年、国の登録有形文化財に登録されています。
明石市港町2-9地先

下記の地図で所在地をご確認ください。



2017年7月6日木曜日

播磨地方の温泉を訪ねて・赤穂温泉

よみがえりの湯・赤穂温泉

赤穂温泉は、美肌・疲労回復等様々な効能に別名「よみがえりの湯」と呼ばれ、「名湯百選」に選ばれています。瀬戸内海国立公園内にある赤穂御崎は、瀬戸内海に浮かぶ淡路島や家島、小豆島などの島々や、天気の良い日には四国まで見渡せるという素晴らしいロケーションを臨む露天風呂もお勧めです。
大石名残りの松
また、ここから望む夕陽は特に美しく「日本の夕陽百選」に選ばれています。
赤穂御崎を望む夕陽
春はひと目5,000本といわれる桜の名所で、夏は潮干狩りや海水浴が楽しめ、冬のカキなど瀬戸内海の新鮮な魚介を使った料理も魅力です。
播磨灘の魚介類
播磨灘の牡蠣

<赤穂温泉の旅館>
海のまほろば・呑海楼
絶景露天風呂の宿・銀波荘
潮彩きらら・祥吉
赤穂温泉・対鴎舘
かんぽの宿・赤穂
鹿久居荘・赤穂

下記の地図で所在地をご確認ください。



2017年7月5日水曜日

播磨地方の温泉を訪ねて・塩田温泉

姫路の奥座敷・塩田温泉

清流・夢前川と名峰・雪彦山を望み、周辺にはのどかな田園風景が広がる姫路の奥座敷といわれています。
名峰・雪彦山
田園風景
江戸時代には、丹波、但州、摂津、備前、四国地方から多くの湯治客が訪れていたと言われ、湯暦300年の歴史ある温泉です。「書写と雪彦屏風(びょうぶ)に建てて、塩田・姫路の奥座敷」と詠われ、春は名峰・雪彦山から流れる夢前川沿いに約3,000本の桜が咲き誇り、夏は鮎にホタル、秋は紅葉、冬は名物「ぼたん鍋」と、播磨の山々に抱かれた塩田温泉は、四季を通じて自然の恵みが楽しめる隠れ家的な温泉地です。
夢前川の桜
川魚料理
ぼたん鍋

<塩田温泉の旅館>
塩田温泉湯元・上山旅館
里湯・ひととき・夢乃井

下記の地図で所在地をご確認ください。



2017年7月1日土曜日

聖徳太子ゆかりの地・斑鳩寺

斑鳩寺

斑鳩寺本殿
斑鳩寺(いかるがてら)は、法隆寺領播磨国斑鳩荘の中核として創建されました。仁王門や講堂、聖徳殿、三重塔など伽藍(がらん)配置は法隆寺によく似ています。創建当時は、七堂伽藍(しちどうがらん)、数十の子院(しいん)が甍(いらか:屋根の頂上部分)を並べ壮麗(そうれい)を極めていました。出雲の尼子氏(あまごし)の侵入で播磨は大混乱となり、1541年(天文10年)4月7日夜明け、全焼してしまいました。その後、円勝院昌仙(えんしょういん まさのり)らが龍野城主・赤松政秀らの援助を受けてほぼ再建され、地元では、「お太子さん」として広く信仰を集めています。
仁王門
三重塔
聖徳殿
八画二重円筒
聖徳太子像
赤門
赤門前
黒門
西門
太子町鵤709