蜜蔵院
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密蔵院(みつぞういん)は904年(延喜4年)、観賢僧正(かんげんそうじょう)により創建されました。戦火で全焼し、1976年(昭和51年)本堂が再建されました。地上15mの報徳大地蔵尊や油を掛け開運・健康・安産を祈る油掛地蔵、明石民謡「明石茶碗屋の娘」で知られる茶碗屋の墓などがあります。
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船上城跡
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船上(ふなげ)は播磨の豪族・赤松氏が砦を築くなど古くから明石の中心として栄えました。16世紀には別所吉親が三木城の出城を築きましたが秀吉に滅ぼされました。キリシタン大名・高山右近(うこん)が高槻から明石に国替えとなり、船上城を築城しましたが、2年後にキリスト教追放令により領地を没収されました。城跡の小高い丘に小さな祠(ほこら)があり、古城大明神が祀られています。
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宝蔵寺
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宝蔵寺(ほうぞうじ)は「林の毘沙門さん」と呼ばれています。高山右近がこのお寺を教会として布教したことで知られ、境内に入ると立派な石造十一面観音があります。本堂の前には、雌鹿(めじか)の松やマリア観音の十字架も保存されています。また、明石市指定文化財の木造毘沙門天及び両脇侍像もあります。
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赤石
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赤石は沖合130mほどの海底にあり、今は陸地から見ることができませんが、2008年8月に市の調査により赤石の存在が再確認されました。死んだ大鹿の血が赤石になったという赤石伝説があり、赤石が「明石」の地名の起こりと伝えられています。明石の地名には赤石説の他に、淡路から見て「アチラ」の土地(厚岸)というのと、潮流の早いところというものがあります。場所は、R718号線沿いのシーパレス弐番館の南周辺です。
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藤江の浦
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ここ藤江の浦は、柿本人麻呂や山部赤人らの万葉歌人によって、古くから歌に詠(よ)まれたところです。遠くに見える淡路島や断崖(だんがい)の連なる藤江の海岸は昔から素晴らしい景観であったことがうかがえます。場所は、R718号線沿いの藤江小学校の西側周辺です。
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明石象化石発掘地
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約200万年前に生息していた明石象(アケボノゾウ)の化石が発掘されたところです。明石象の骨格の複製は明石市立文化博物館と中央体育会館にあります。
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屏風ヶ浦・明石原人腰骨発見の地
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帯状に続く崖(がけ)を海上から見ると屏風を立てた様に見えるため、「屏風(びょうぶ)ヶ浦海岸」と名付けられました。この一帯で、1931年(昭和6年)直良(なおら)信夫氏が腰骨を発見し、人類学者・長谷部言人(はせべ ことんど)博士によって「明石原人」と命名されました。現在、西八木の発見地付近には標識が立っています。また、地元の大久保町では、毎年「原人まつり」が開催されています。
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光触寺
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光触寺(こうそくじ)は、三木合戦時の秀吉軍の本陣跡で境内には太閤腰掛松があります。表門の薬医門は四足の陽明門で、姫路城主・池田輝政の寄進と伝えられています。また、山門の右手に「左巻き地蔵」の祠があります。エプロン(よだれかけ)の下に左巻きの型が付いていることからそう呼ばれています。
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長楽寺
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高僧・行基が魚住の泊を築いた際、平安を祈って地蔵尊を彫り、寺を建てて安置したのがこの寺の始まりといわれています。この地蔵尊は「御崎の地蔵」と呼ばれ、この寺の秘佛(ひぶつ)です。また、行基の位牌も残されています。1770年頃、他の地域に先駆け、ここに寺子屋が開かれました。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2017年7月11日火曜日
明石原人発見の地とJR西明石駅周辺を訪ねて
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