2018年9月14日金曜日

高砂市・曽根天満宮「一ツ物神事」

曽根天満宮「一ツ物神事」

毎年10月13日・14日に行われる曽根天満宮最大の行事です。神事も多彩で、のぼりを立てた竹を男衆たちが地面に激しく叩きつけて割る「竹割」や、童児(頭人)が額に「ハ」の字を描き、狩衣姿に山鳥の羽を立てた花笠をかぶり、馬の背に乗って宮入りする絵巻物さながらに美しい「一ツ物」が有名です。また、色あざやかな15台のふとん屋台の練り合わせなど、勇壮かつ華麗な祭りです。
<開催時期>
毎年10月13・14日
開催場所:曽根天満宮
高砂市曽根町2286
<問合せ先>
曽根天満宮
☎ 079-447-0645


姫路城下・お寺散歩

幡念寺

三河国吉田(現豊橋市)から輝政の町割りで現在地に移転した浄土宗のお寺。境内の延命地蔵は、昔飢餓の時、山中より出て人々に餅を与えたので餅売り地蔵と尊敬され、昭和初期まで8月下旬の「地蔵祭り」は賑やかだったそうです。
姫路市北条口2-84

光明寺

江戸初期、飾磨津から現在地に移転した浄土宗のお寺。明治18年姫路町と飾東郡の西区務所が本寺に置かれた。
姫路市魚町46

長源寺

男山山麓にあった長彦寺で、輝政の町割りで現在地に移転した。昔、6月長壁神社の神事には、無燈籠に走り馬の絵を描いた「長源寺の無燈籠」が売られていました。
姫路市竪町37

光原寺

浄土真宗本願寺派で、播磨六坊の一つで、飾磨区細江から下白銀町に移転。戦災で現在地に移転、当時は鉄筋のモダン寺として話題を呼んだ。
姫路市十二所前町86

寺町について

寺町は、戦いになると武士たちが寺に立てこもり、一カ所から侵入してくる敵を待ち伏せし有利に戦うため、城下や周辺から寺院を強制的に集め戦力的に建てたそうです。ここ寺町は、現在の五軒邸から南へ坂田町、平野町の3町まで、中濠の京口門跡から東へ約100mです。北から順に、正明寺(五軒邸)、妙立寺(五軒邸)、妙善寺(五軒邸)、圓光寺(五軒邸)、本領寺(五軒邸)、法華寺(五軒邸)、妙國寺(五軒邸)、大法寺(五軒邸)、妙行寺(坂田町)、圓證寺(坂田町)、善導寺(坂田町)、正法寺(平野町)、妙圓寺(平野町)の13ケ寺が建ち並んでいます。

妙立寺(寺町)

妙立寺(みょうりょう)は、顕本法華宗妙満寺派。1604年(慶長9年)池田輝政の町割りで遠州吉美郷から移転。
姫路市五軒邸2-85

法華寺(寺町)

法華寺は、日蓮宗本圀寺派。1602年(慶長7年)池田輝政の町割りで三木から移転。千姫の位牌堂を城内から移築しましたが、戦災で焼失。
姫路市五軒邸1-58

善導寺(寺町)

1602年(慶長7年)池田輝政の町割りで梛本(なぎもと:東高校付近)から坂田町に移転。浄土宗のお寺で、境内の笠塔婆は、市内で2番目に古いものだそうです。
姫路市坂田町5

下記の地図でご確認ください。



2018年9月12日水曜日

姫路藩名家老「河合寸翁」

河合寸翁

江戸時代後期、財政難で苦しんでいた姫路藩主・酒井忠道は、当時の家老・河合道臣(後の河合寸翁)に財政再建の命が下します。河合道臣は、質素倹約令を布く大々的な改革を行い、領民に米を無利子で貸し与えたり、低金利で生活資金を融資したりという画期的な金融政策を行いました。また、いざというときのために共有の米を保存する固寧倉(こねいそう)を設けました。また、姫路城下の木綿業者らと共に「木綿会所(現在の広島銀行姫路支店前)」を作り、木綿を「玉川さらし」という姫路藩の特産品として、大坂(大阪)の商人を通さず、直接江戸で販売する方法を考案し、財政の立て直しを図りました。そのおかげで、藩の収入の7倍あった負債を27年で完済。
河合寸翁像と寸翁神社
一方、茶人として有名だった姫路藩家老・河合寸翁(すんおう:道臣)は、お茶席には欠かせない和菓子造りのため、姫路の菓子職人を江戸や京都に、また、南蛮菓子を学ばせるため長崎の出島に派遣しました。それが現在の姫路の菓子つくりの原点となり、姫路銘菓「玉椿(名付け親:河合寸翁)」や「播州かりんとう」の原型を作りました。このように、河合寸翁の功績は大きく、姫山公園内にある姫路神社に酒井家歴代姫路藩主とともに、寸翁神社として祀られています。
寸翁神社
姫路市本町83

仁寿山黌

仁寿山黌跡碑
仁寿山黌(じんじゅざんまなびや)は、1821年(文政4年)姫路藩の財政再建に大きな功績を残した家老・河合寸翁が設立した私立の学問所で、菅野真斉・近藤抑斎を教授とし藩の子弟などの教育にあたりました。1844年(天保15年)山學に対する非難が高まり、姫路藩主・忠学によって廃止され、藩校・好古堂に吸収されましたが、医学寮は幕末まで続いたそうです。
姫路市奥山仁寿山

河合家墓所
姫路市兼田

下記の地図でご確認ください。



2018年9月11日火曜日

播磨の秋のバラの花だより

秋のバラの開花時期
10月~11月

ギリシア神話では愛と美の女神アフロディーテや恋の神エロスに捧げられた花で、愛と美の象徴とされ「花言葉」も多いようです。たとえば、バラの花の色による「花言葉」
赤いバラは、あなたを愛しています。
ピンクのバラは、しとやか・上品に
白いバラは、純潔・私はあなたにふさわしい。
バラの花束の本数によっても意味があるそうです。ご存知でしたか?
1本、一目ぼれ。
3本、愛しています。
12本、付き合ってください。
99本、永遠の愛。
108本、結婚してください。
365本、あなたが毎日恋しい。
999本、何度生まれ変わってもあなたを愛します。
では、播磨のバラ園を紹介します。

姫路バラ園

10・11月開園
10時~16時30
☎ 079-222-3303
姫路市豊富町豊富2222

赤穂・城南緑地公園・バラ園

城南緑地公園のバラ園は、約700本のバラが育てられています。5・6月、10・11月の年2回開花し、5月下旬には「花と緑のフェスティバル」が開催されます。
☎ 0791-45-2091
赤穂市加里屋1278

播磨中央公園・四季の庭

約1.5haのバラ園は、中央の噴水を囲むようにバラが植えられています。
開園時間:9時~17時
休園日:毎週火曜日
四季の庭:無料
☎ 0795-48-5289
加東市下滝野1275-8

北播磨余暇村公園のバラ

余暇村公園には、ロッジやバラ園、ショウブ園、スポーツ施設なども整っています。
<開園時間>
8時45分~17時15分
休園日:年中無休
☎ 0795-32-1543
多可町中区牧野817-41


赤穂義士の首領「大石良雄」

大石良雄(内蔵助)

大石良雄像
JR赤穂駅前
大石良雄(よしたか:内蔵助)は、21歳の若さで赤穂藩家老になり、山鹿素行に軍学、伊藤仁斎に儒学を学び、赤穂藩主・浅野長矩(ながのり)を支えました。1701年(元禄14年)藩主・浅野長矩が江戸城内で吉良義央(よしなか)を傷つけ、即日除封切腹となります。家老・大石良雄は浅野家の名誉回復を図り、幕府に嘆願するが受け入れられず、1702年(元禄15年)、旧藩士の同士46名を卒いて、江戸本所(ほんじょ)松本町・吉良邸に討ち入り仇討ちを成就。翌年切腹。後に「忠臣蔵」として劇化され、その統率力と実行力が認められ、国民的ヒーローとなりました。
大石邸長屋門
大石神社
赤穂市上仮屋旧城内


2018年9月10日月曜日

お夏と清十郎物語の「お夏」

お夏と清十郎

お夏・清十郎物語は、1662年(寛文2年)姫路で実際に起きた駆落ち事件を題材にした文芸作品です。1625年(寛永2年)、姫路の米問屋(旅籠屋ともいわれている。)「但馬屋(中門筋と西国街道の交差点の北側周辺)」に奉公していた室津の造り酒屋の息子・清十郎が、米問屋の主人に刀を振り重傷を負わせる事件が起きました。身分の違う者同士が結ばれない時代に米問屋の娘・お夏と恋仲になったことが原因でした。清十郎は、お夏の「かどわかし(誘拐の意味)」に加え、店の金持ち逃げの罪を着せられました。この騒動を知った当時の姫路藩主・榊原忠次は、同じような事件が二度と起きないようにと清十郎を打ち首の刑に処しました。その処分をきっかけに清十郎を忘れきれないお夏は「清十郎さま殺さば、お夏も殺せ」と半狂乱で叫び、髪を振り乱して裸足で城下を歩き回ったそうです。この悲劇は、さまざまな小唄に歌われ、全国各地に知れ渡り、井原西鶴の小説「好色五人女」の「姿姫路清十郎物語」や近松門左衛門の戯曲「五十年忌歌念仏」の「お夏と清十郎」の物語となりました。現在、姫路城の北「野里・慶雲寺」には、この世で結ばれなかった二人があの世で結ばれるようにと二つの小さなお墓が建てられています。毎年8月9・10日には二人を供養する「お夏・清十郎供養まつり」が行われています。
お夏の生家「但馬屋」
姫路城中門跡約100m南

お夏・清十郎比翼塚
お夏・清十郎比翼塚
姫路市野里慶雲寺前町10-1
慶雲寺内

下記の地図でご確認ください。