播磨国総社・射楯兵主神社
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播磨国総社・射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)は、延喜式(えんぎしき)神名帳(しんめいちょう)所載(しょさい)の古社で、播磨地方の大小明神(174座)の神々を合祀(ごうし)した一国の総鎮守(そうちんじゅ)です。市民からは「そうしゃ」「そうしゃさん」と呼ばれ、市民や播磨地域の人達からも親しまれています。正式な神社名は「射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)」で、創建は不詳ですが、播磨風土記に「因達里(いたてのさと)にいます伊太代神(いたてのかみ)」と所載されていることから奈良時代以前といわれています。
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一ツ山・三ツ山大祭
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三ツ山大祭は、播磨国総社(射楯兵主神社)で行われる特殊神事で、3月31日から4月7日まで、毎日の御遷祭のほか、さまざまな奉祝行事が行われ、国土平穏・五穀豊穣・万民安楽をお祈りします。早朝、白浜海岸での「潮かきの儀」から始まり、連日、神事やさまざまなイベントが催されます。古くから神は、地上の高いところに降臨(こうりん)されると考えられ、自然の山を御神体とするのが祭りの原型の姿です。総社は、地上に自然の山を模した巨大な人口の「やま」をつくり、その山上に神の降臨を仰ぐ「置き山」という形態をとっています。「置き山」は、国の重要民族資料に指定されていて、その大きさは直系10メートル、高さ18メートルという巨大なものです。「置きや山」を1基つくる「一ツ山大祭」は約60年に一度、「置き山」を3基つくる「三ツ山大祭」は約20年に一度行われています。
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神明神社
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摂津国玉造(大阪市)から大正時代に移し祀られ、祭神は天照大神で、当時、境内は約1,200㎡(現在250㎡)あったそうです。
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長壁神社
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長壁神社は、1,000年以上前から現在の姫路城のある姫山に鎮守神として祀られていました。しかし、黒田官兵衛や羽柴秀吉(豊臣秀吉)が姫山に本格的な城を築き、池田輝政が現在の姫路城に改修してからは、城内にある長壁神社には武士以外は参拝できなくなりました。
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ゆかた祭り
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1732年(享保17年)姫路藩主・榊原政岑(さかきばら まさみね)は、将軍・徳川吉宗が出した倹約令を無視して贅(ぜい)を尽くし、奇抜な服装で江戸城・大手門を警備、江戸・吉原では派手に遊興に耽(ふけ)り、新吉原の三浦屋・名妓・高尾太夫を2,000両で身請けするなど、度を過ぎた贅沢を好んでいました。また、高尾太夫のために酒宴を開いた費用は、3,000両を超えたといわれています。これは尾張藩主・徳川宗春の乱行同様、享保(きょうほ)の改革に対する抵抗と見なされ、将軍・吉宗の怒りを買い、1741年(寛保元年)10月、吉宗は政岑に上京を命じ、その乱行を厳しくとがめました。当初、吉宗自身は改易(かいえき:武士から身分を剥奪し、所領と城・屋敷を没収すること)を考えていたそうですが、榊原家の家老・尾崎富右衛門が懸命な弁明に努めたため、10月13日、強制隠居の上で蟄居(ちっきょ:武士に科した刑罰で、自宅等に閉じ込め謹慎させること)を命じられ、家督は息子の榊原政純が継ぐことが許されましたが、越後高田に懲罰的な転封(てんぽう:所領を別の場所に移すこと)を命じられました。転封前、政岑は長壁神社に庶民も参拝できるようにと長源寺の境内に社を移し、1742年(寛保2年)6月22日に遷座(せんざ)祭を開催しました。その祭に町人が式服を作る時間がなく、参加するのを躊躇(ちゅうちょ)していたところ、政岑が「よいよい、普段(浴衣)のままで」と申され、町人は浴衣姿で祭りに参加したそうです。その後、例祭に参拝する人がそれに倣(なら)って浴衣を着るようになりました。これが「ゆかたまつり(毎年6月22日~24日に開催)」の起源といわれています。
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<参考>
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当時、浴衣は下着と同じで、そのまま外に出ることは「はしたない」と考えられていましたが、これがキッカケで、夏祭りに浴衣を着ることが広まったといわれています。
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十二所神社
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十二所神社が姫路城の表鬼門の護(まも)りとして外濠の角目に置かれ、境内は大きな樹木が立並び、現在の数倍の面積があったといわれています。
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「西の大藤棚」復活か・・
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当時、東京の亀戸天神の「藤」に対し、十二所神社の藤は「西の大藤棚」といわれ、京阪神からのお客さんで賑わったそうです。現在小規模ですが、見事な藤の花を咲かせています。見頃は、4月中旬~5月中旬。
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お菊神社
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「播州皿屋敷」でお馴染みのお菊神社が十二所神社内にあるのは、当時、お菊さんが十二所神社によく参詣していたからだそうです。美人だったお菊さん、美しい幽霊の噂が広がり、大勢の男達が恐々「お菊井戸」を訪れたといわれていたそうです。お菊まつりは、毎年5月8日お菊神社で開催されます。
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下記の地図でご確認ください。
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2016年11月24日木曜日
姫路城下・神社散歩
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