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広渡廃寺跡
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広渡(こうど)廃寺跡は、7世紀後半に建立された寺院で東西両塔、金堂、講堂などの遺構が確認されています。奈良の薬師寺と同じ伽藍(がらん)配置だったそうです。現在は、史跡公園として整備・復元され、縮尺1/20の模型が屋外に展示されています。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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播磨観光情報「のんびり播磨、ゆっくり散策」は、播磨の観光スポットや観光ルート、播磨の伝統文化、播磨のうまいもん、播磨のお祭りやイベント、播磨の文化が体験できる体験情報など、キメ細かく紹介する観光情報サイトです。
2018年1月26日金曜日
小野市の国指定史跡めぐり
2018年1月25日木曜日
上郡町の国指定史跡めぐり
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山陽道・野磨駅家跡
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山陽道・野磨駅家跡(やまのうまやあと)は、古代山陽道の播磨国最西端に置かれていました。古代山陽道の道幅は、約10mで北の丘陵鞍部から南の山裾を目指して直線的につくられていました。野磨駅家は、塀に囲まれた駅館院(えきかんいん)と呼ばれ、掘立柱建物が造られ、後に北西の山裾に移し、瓦葺礎石建物として再整備されました。特に移転後の施設は、出土した瓦や壁土などから、柱を赤く壁を白く塗った非常に立派な建物でした。野磨駅家は、「今昔物語集」などに説話の舞台として登場し、そこは、大蛇が巣くうほど荒廃した様子が描かれています。その話を聞いた清少納言も「枕草子」に記しており、当時の都でも有名な駅家だったことが伺えます。当時、駅家は全国に400カ所以上設置されていたそうですが、ほとんど残っておらず、この駅家跡は、奇跡的に良好な状態でのこされており、古代国家の交通体系などを明らかにするうえで非常に重要な遺跡であることから、2006年(平成18年)駅家跡として初めて国史跡に指定されました。
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<駅家とは>
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奈良時代、全国に整備された駅路(えきろ)と呼ばれる道路には、外国使節や役人らに対して馬の乗り継ぎや食料の支給、宿泊所の提供などを目的とした駅家(うまや)が一定の区間ごとに設置されていました。特に古代山陽道は、都と大宰府(九州)を結ぶ道として最重要視され、駅家は瓦葺で白壁の建物として整備されていました。上郡町には野磨と高田の2駅が設置されていたそうです。
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赤松氏城跡・白旗城跡
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白旗城は、南北朝時代(鎌倉時代末期)の武将・赤松円心が築き、守護大名・赤松氏発展の基となった山城で、赤松惣領家の本拠地として歴史に登場してきます。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2018年1月24日水曜日
たつの市の国指定史跡めぐり
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吉島古墳
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新宮町吉島(よしま)の丘陵尾根にある、全長約30mの前方後円墳です。明治時代に竪穴(たてあな)式石室が発見され、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)など6面の鏡、ガラス玉、鉄刀片、土器などが出土し、鏡は中国製と考えられ、時期は3世紀中期で日本最古級の古墳として知られています。
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新宮宮内遺跡
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新宮町新宮・宮内の集落跡で、縄文時代から平安時代まで生活していたそうで、最も栄えたのは約2000年前の弥生時代中期といわれています。発掘調査によって円形や方形の竪穴(たてあな)住居、墓、大きな溝、大量の土器や石器が見つかっています。分銅形土製品(ふんどうがたどせいひん)の出土数は、県内最多だそうです。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2018年1月23日火曜日
相生市の国指定史跡めぐり
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感状山城跡
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感状山(かんじょうさん)城が築かれたれた時代は、「播磨古城記」「岡城記」などによると、鎌倉時代に瓜生左衛門尉(うりゅうさえもんのじょう)が築いたという説と、1336年(建武3年)赤松円心の三男・赤松則祐(そくゆう)が築いたという説があります。足利尊氏の追討をしていた新田義貞率いる軍勢を赤松円心の三男・則祐が奮戦し、約50日間足止めさせた結果、足利尊氏の反撃の機会を与えたことは歴史上有名です。この功績により足利尊氏が、赤松則祐に感状を与えたことから感状山と呼ばれたそうです。感状山城は総石垣による曲輪の構えから、後世に手を加えたもので、戦国時代(1467年~1568年)にこの周辺を支配した宇喜多(浮田)氏によって改修されたものではないかという説もあります。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2018年1月22日月曜日
赤穂市の国指定名勝めぐり
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旧赤穂城庭園
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赤穂(あこう)城は浅野長直の命により近藤三郎左衛門正純が、1661年に完成させた城で、本丸大小の池泉、二の丸には大規模な錦帯池をもつ池泉回遊式の庭園でした。現在、発掘調査と復元整備中で、往時の大名庭園の姿を残しています。
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田淵家庭園(非公開)
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2018年1月21日日曜日
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