大島城跡
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大島山は、相生湾に浮かぶ美しい離れ島でした。赤松氏が船橋をかけて築いた城は、「別名・浜御殿」と呼ばれるほど美しかったそうです。1336年(建武3年)、下司職(げししき:現地で実務を取っていた下級職員のこと。)だった7代・景知は、赤松円心に属し、弟の詮季や同族泰知と共に白旗城に立て籠もって新田義貞軍と戦いに戦功をあげましたが、留守中の大島城は、新田軍に焼き落とされたそうです。1710年(宝永7年)前川新右衛門が那波新田を開墾した際に陸続きとなったそうです。大島山は藤の名所として知られ、当時の武将などが「藤見の宴」に興じたといわれています。
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住吉神社
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善光寺
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現在、頂上には住吉神社と善光寺、地蔵堂、桜公園がありますが、残念ながら、城の遺構は残っていません。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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播磨観光情報「のんびり播磨、ゆっくり散策」は、播磨の観光スポットや観光ルート、播磨の伝統文化、播磨のうまいもん、播磨のお祭りやイベント、播磨の文化が体験できる体験情報など、キメ細かく紹介する観光情報サイトです。
2019年2月7日木曜日
大嶋城跡
2019年2月6日水曜日
十輪寺と申義堂
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十輪寺
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十輪寺(じゅうりんじ)は、815年(弘仁6年)弘法大師が勅命(ちょくめい)により創建。後に讃岐へ流される途中、立ち寄った法然(ほうねん)上人が寺を復興、浄土宗に転宗したと伝えられ、絹本着色五仏尊像(けんぽんちゃくしょくごぶつそんぞう:国重要文化財)など貴重な仏画が残る名刹(めいさつ)です。境内には高麗仏と呼ばれる宝篋印塔(ほうきょいんとう)があり、これは1592年(文禄元年)に豊臣秀吉が朝鮮に出兵した際、徴発された高砂の水主(かこ:船の乗組員)百人のうち96人が暴風にあって溺死(できし)、その供養のために建てられました。
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申義堂
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申義堂(しんぎどう)は、姫路藩・家老・河合寸翁(かわいすんのう)の建議によって庶民教育を行うために設立した学問所で、高砂町北本町に建てられました。この土地・建物は、姫路藩六人衆・高砂の大年寄である岸本吉兵衛が提供しました。明治維新後廃校となり、1879年(明治12年)光源寺の説教所として西井ノ口村(現:加古川市東神吉町西井ノ口)に移築されました。1990年(平成2年)現地に移築・復元され、2011年(平成23年)高砂市指定文化財に指定されました。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2019年2月5日火曜日
旧国鉄高砂駅跡地
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旧国鉄高砂駅跡地
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加古川流域の特産品などの貨物と旅客輸送を目的に設立された播州鉄道。1914年(大正3年)9月、三菱製紙・鐘淵紡績の貨物・旅客輸送のための高砂と加古川間、白砂青松で名高いこの地への高砂駅と高砂浦間(後の高砂港駅)が開業し、その結果、加古川の船運は衰退していきました。1923年(大正12年)播丹鉄道に譲渡。1943年(昭和18年)6月、造兵廠(ぞうへいしょう:旧日本陸軍の兵器・弾薬・車両などの製造・修理を担当した工場のこと)などの設置に伴い国有化され国鉄高砂線となりました。戦後、沿線への企業進出に伴い高砂線は活気があったが、モータリーゼーションの進展により貨物・旅客の輸送量が減少、1984年(昭和59年)2月高砂駅から高砂港駅間が、同年11月加古川駅から高砂駅間が廃止されました。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2019年2月4日月曜日
播州松巡り・高砂市
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播州松巡り・高砂市
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高砂神社
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松どころ高砂でも特に有名なのが高砂神社の「相生の松」です。この神社は、神功(じんぐう)皇后が出兵のとき、大己貴命(おおなむちのみこと)の神助(しんじょ)を得て敵を平げ、帰途この地に国家鎮護(ちんご)のために大己貴命を祀られたのが始まりで、創建まもなく境内に生え出たのが「相生の松」だといわれています。
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相生の松
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相生の松は、根が一つで雌雄の幹が左右に分かれた松のことで、ある日、尉と姥(じょうとうば)の二神が現れ「神霊をこの木に宿し、世に夫婦の道を示さん」と告げたことから、霊松(れいしょう)として人々の信仰を集めるようになりました。
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荒井神社
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舒明(じょめい)天皇の時代(629~641年)に創建された古社で、鎌倉時代に現在地に遷座(せんざ)。境内には一つの根元から男松と女松が分かれ出ている「結びの松」や武者小路実篤の歌碑があります。
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結びの松
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曽根天満宮
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菅原道真を祀る神社として知られる曽根天満宮。讒言(ざんげん)によって九州太宰府に流される途中、日笠山に登って休んだ道真が、「我に罪なくば栄えよ」と小松を植えられたのが後の「曽根(そね)の松」で、その後播磨に流された道真の四男・淳茂(あつしげ)が、この松のそばに父を祀ったのが曽根天満宮の始まりだといわれています。
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曽根の松
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2019年2月3日日曜日
国登録文化財「多木浜洋館」
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多木浜洋館
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多木(たき)浜洋館は、多木化学の創業者・多木久米次郎が賓客(ひんきゃく)を迎えるため建設されました。約10年の工期を経て1933年(昭和8年)に完成した浜洋館は、贅を尽くした4階建てで、屋根や外壁に銅版を張りめぐらせていることから「あかがね御殿」と呼ばれています。2002年(平成14年)国の登録文化財となりました。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2019年2月2日土曜日
播州松巡り・加古川市
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播州松巡り
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住吉神社と手枕の松
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境内にある「手枕(てまくら)の松」は、松が横に傾き、腕枕のように見えることから別府出身の俳人・滝瓢水(たき ひょうすい)が「手枕の松」と名付けました。ちなみに、現代の松は3代目だそうです。
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手枕の松
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浜宮天神社と加古の浜松
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昔、加古川市の浜手は、「加古の松原」といわれていました。ここ浜の宮公園は、加古川市の木「黒松」が群生する公園です。公園の西隣は、菅原道真公を祀る浜宮天神社です。境内には道真公お手植えの「加古の浜松」があります。ちなみに、現在の松は、2代目で樹齢約500年だそうです。
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加古の浜松
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尾上神社と尾上の松
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祭神は、海の神様「住吉大明神」です。境内には、謡曲「高砂」に謡われた相生霊松「尾上の松」があります。一つの根から男松(黒松)と女松(赤松)が生えている姿は、相生の霊松として信仰を集めています。ちなにみ、現在の松は8代目だそうです。また、「尾上の鐘(朝鮮鐘:国重要文化財)」も有名で、その昔、海賊に盗まれ海に沈められてしまいます。その後、漁師に引き上げられ高野山に奉納されましたが、鐘をつくたびの「おのえへ、いの~」と聞こえたため、尾上神社に戻されたそうです。
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尾上の松
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2019年2月1日金曜日
みとろフルーツパーク
みとろフルーツパーク
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このフルーツパークには、熱帯果樹と観葉植物が約3,800本あり、年中南国気分が味わえます。野菜のもぎ取り等の農業体験ができる観光農園、明石海峡大橋まで見渡せる展望台等の施設があります。隣接する「みとろ観光果樹園」では、初夏から秋にかけて李(すもも)・葡萄・栗・柿狩りが楽しめます。
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