2017年8月9日水曜日

姫路藩家老・河合寸翁の私塾「仁寿山黌」を訪ねて

東山焼窯跡

有田焼系の磁法を用いた磁気で黄檗宗(おうばくしゅう)・興禅寺の東にあったため「興禅寺焼」と呼ばれました。その後、姫路藩主・酒井家の御用窯として姫路に移されてから「姫路焼」とも呼ばれていました。京都出身の尾形周平・水越興三兵衛らが指導にあたり、幕末まで生産していました。
姫路市東山815 興禅寺東隣

麻生山と麻生神社

麻生山
麻生山は標高173mで、神功皇后西征の際、麻が繁茂(はんも)していたので弦を作らせたことから麻生山と呼ばれました。また、富士山に似ていることから「播磨小富士」ともいわれています。山麓には、継・奥山地区の氏神「麻生神社」があります。
麻生神社
姫路市奥山563

仁寿山

仁寿山黌(じんじゅざんまなびや)は、1821年(文政4年)姫路藩の財政再建に大きな功績を残した家老・河合寸翁が設立した私立の学問所で、菅野真斉・近藤抑斎を教授とし藩の子弟などの教育にあたりました。1844年(天保15年)山學に対する非難が高まり、姫路藩主・忠学によって廃止され、藩校・好古堂に吸収されましたが、医学寮は幕末まで続いたそうです。

河合家墓所

坂田町・善導寺から移した川合定恒、河合寸翁など河合家一族の墓碑があります。
姫路市奥山仁寿山梅ケ岡

下記の地図で所在地をご確認ください。



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