妻鹿について
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江戸中期から漁業が活発になり、1926年(大正5年)妻鹿魚市場が創設されたことにより、播磨一円に販路を拡大しましたが、1960年(昭和35年)姫路市中央卸売市場が開設し、同年妻鹿沖の埋め立て工事が始まり、出光興産兵庫製油所の建設、1961年(昭和36年)関西電力姫路第二発電所の建設を開始。1982年(昭和57年)妻鹿漁港の埋め立て完了。妻鹿地区は大きく変容しました。
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妻鹿城跡
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妻鹿城跡(別名:国府山城)は、市川右岸の標高98mの甲山に築かれた山城で、1580年(天正8年)秀吉に姫路城を渡し、黒田官兵衛は父・職隆とともに移り住みました。
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山の麓にある「妻鹿城址」の碑は1970年(昭和45年)建立されました。
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荒神社
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竈の神さんの他に、子どもの百日咳や喘息にご利益のある神社として親しまれています。神饌(しんせん:お供え物)には必ず獰猛(どうもう)な顔をした「おこぜ」が供されます。それは、荒神(あらぶる神)と「おこぜ」が似ているからだそうです。元来は山のあらぶる神を祀ったのが始まりで次第に信仰の形を変え、現在では「三宝荒神」の信仰と併行している。
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黒田職隆公廟所
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黒田職隆公廟所(くろだともたかこうびょうしょ)は、黒田官兵衛の父・職隆の廟所で、地元の人達からは「筑前さん」と呼ばれています。
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旧妻鹿村役場跡
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1889年(明治22年)4月市制町村制施行により、飾東郡妻鹿村となり、役場を置いた。1927年(昭和2年)飾磨郡妻鹿町役場、1938年(昭和13年)飾磨町妻鹿出張所、1940年(昭和15年)飾磨市妻鹿出張所。1946年(昭和21年)姫路市に合併後、姫路市飾磨支所妻鹿出張所。
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妻鹿町資料館
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1992年(平成4年)開館。妻鹿で出土した土器や秋祭りに使用された衣類などが展示されています。
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神宮寺
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松原八正寺に属する真言宗のお寺。本尊は千手観音。地元では、観音さんと親しまれています。「塩がまさん」は、安産の神として信仰されています。
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金比羅さん
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参献灯とある常夜灯を祀り、海上の安全を祈願し、妻鹿漁港の「目印」だったそうです。
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妻鹿漁港・魚市場跡
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1916年(大正5年)川原の寄州(よりす)一帯を埋め立て「妻鹿魚市場」を創設。1923年(大正12年)神戸姫路電気鉄道(山陽電鉄の前身)開通や自動車の普及により、問屋は魚を保管する倉庫を建設し、販路を播州一円や但馬方面にまで広げた。戦後、妻鹿魚市場は復活。1960年(昭和35年)姫路市中央卸売市場が開設し、1969年(昭和44年)魚市場は廃止になりました。
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御幸岩神社
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御幸岩神社(ごこういわ)は、神功皇后が岩の上に立って、水路を眺めたという伝説から、神社前の海中にあって干潮時に露出する岩を御幸岩とよんだ。今は埋め立てられ、その一部が東海公園にある。
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御旅山八幡神社
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松原八幡神社の御旅所。灘のけんか祭りに、ゴイナ落としの神事などを行い、3基の神輿のからみ合いは豪壮華麗です。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2017年8月17日木曜日
官兵衛の妻鹿城跡と山電妻鹿駅周辺を訪ねて
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