赤穂市について
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春は赤穂御崎の一目5,000本の桜、5月・6月は潮干狩り、夏は海水浴や釣・ヨット・サーフィン、秋は瀬戸内三大船祭「坂越船祭」や塩屋荒神社や赤穂八幡宮の「秋祭」、冬は赤穂義士祭(12月14日)に開催され、討入姿をした義士行列など、忠臣蔵パレードが見ものです。
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息継ぎ井戸
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江戸での浅野内匠頭による刃傷事件の第一報を知らせるため、1701年(元禄14年)3月14日の夕刻に赤穂藩士、早水藤左衛門・萱野三平が早かごで江戸を出発。赤穂城下に着いたのは3月19日の早朝でした。155里(約620km)の行程を4昼夜半早かごに揺られ続けた両人は、城下に入りこの井戸の水を飲んで一息ついたといわれています。以来、この井戸は、「息継ぎ井戸」と呼ばれています。
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義士あんどん
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赤穂市制60周年を記念して造られた、からくり時計「義士あんどん(高さ4m)」が息継ぎ井戸の隣にあります。午前9時~午後8時の毎正時になると、からくり人形が忠臣蔵名場面「松の廊下」「はやかご」「勝どき」など4場面を再現しています。(ナレーション付き、約3分)この時計台には、赤穂市立歴史博物館所蔵の浮世絵が複写されています。
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浅野家と義士の寺・花岳寺
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花岳寺
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大石なごりの松
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禅の曹洞宗、本山は永平寺。赤穂藩祖浅野長直公によって1645年(正保2年)に建立された寺です。事変後は、永井家・森家歴代藩主の菩提寺となりました。境内には、四十七義士の墓・宝物館・義士木像堂などがあり、赤穂義士ゆかりの史跡として有名です。赤穂城の塩屋惣門を移築した山門は赤穂市指定文化財に指定されています。
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ならずの鐘
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赤穂義士宅跡
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赤穂義士四十七人のうち、赤穂市に屋敷があったのは21人です。現存していませんが、21人の義士宅にはそれぞれ説明板と石碑が立っています。
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大石神社
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大正元年、大石内蔵助良雄はじめ四十七義士と萱野三平などと号祀して創建されました。境内には国指定史跡の大石良雄宅跡があり、長屋門や庭園が残されています。また、義士ゆかりの武具・書画などを展示している義士宝物殿や浅野公・四十七義士の木像が展示されている義士木像奉安殿もあります。
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大石邸長屋門
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この門は、浅野家筆頭家老大石内蔵助の一家三代が57年にわたり住んでいた大石屋敷の正面門長屋です。内蔵助の偉業を偲ぶ唯一つの建物です。内蔵助と主税の父子が朝夕出入りし、1701年(元禄14年)3月主君の刃傷による江戸の悲報を伝える早打ちが叩いたのもこの門です。1856年(安政3年)大修理され、昭和52年11月から翌年10月まで全面解体修理が行われました。1923年(大正12年)国の史跡に指定されました。
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赤穂城跡
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浅野長直の指示によって1648年(慶安元年)から13年の歳月をかけて築かれた赤穂城は、近代城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城です。赤穂城は軍学に従って築かれた城で、徳川幕府が始まって約50年経ったにも関わらず、その構造は戦を強く意識したものです。複雑に折れ曲がる石垣や角度を換えた諸門に特長があり、城地は三方を山に囲まれ、東に千種川、南は瀬戸内海に面し、清水門の南にある舟入は船が出入りできるようになっていました。1971年(昭和46年)国の史跡に指定、2002年(平成14年)本丸庭園と二之丸庭園が国の名勝に指定されました。
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本丸庭園
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近藤源八郎邸長屋門
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近藤源八郎は、甲州流軍学を修め、千石番頭(ばんがしら)の重職にあり、大石内蔵助の叔母にあたり、親戚関係にありました。源八の父・三郎左衛門正純(まさずみ)が赤穂城築城の縄張り設計を行っています。この門は、「源八長屋」の愛称で市民から親しまれ、大石邸長屋門の斜め向かいにあります。赤穂市指定有形文化財に指定されています。
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大石良雄仮寓地跡
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大石良雄仮寓地(かぐうち)跡は、1701年(元禄14年)の刃傷事件の後、城明け渡しの残務整理をする5月7日~6月25日の間、大石内蔵助と家族が仮住まいしたところだそうです。
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2016年12月6日火曜日
赤穂義士にまつわる文化財を訪ねて
場所:
日本, 兵庫県赤穂市
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