2017年9月13日水曜日

小野市の国宝「浄土寺」を訪ねて

極楽山浄土寺

浄土寺は、鎌倉初期に重源上人(ちょうげんしょうにん)が建立した寺院です。中央に八幡神社、その前に池をはさんで浄土堂と薬師堂が向かい合うという珍しい配置となっています。浄土堂と堂内の阿弥陀三尊立像はともに、国宝に指定されています。このように建物と仏像が国宝に指定されているのは、浄土寺と京都宇治の平等院のみです。平安末期から室町時代まで、小野市の中心部は奈良東大寺の荘園大部荘に属し、経済的な拠点として重要な役割を果たしていました。1180年(治承4年)、平家の焼打ちで東大寺は焼失。その再建にあたり勧進(かんじん)職の重源上人は、現在の小野市を視察し、東大寺再建の経済的基盤として浄土寺を建立しました。浄土寺は、宝形(ほうぎょう)造り、本瓦葺きで東大寺南大門と並ぶ大仏様建築で、円形須弥壇(しゅみだん:後記)上の雲座(くもざ)の上に、高さ5.3mの阿弥陀如来像が建ち、両脇には高さ3.7mの観音勢至菩薩(せいしぼさつ)が建っています。いずれも、鎌倉時代の有名な仏師・快慶(かいけい)の作品です。浄土寺の背面は、壁を開放できる蔀戸(しとみど:板の両面に格子をくんだ戸のこと。)になっており、夕日が差し込むと後光として輝き、三尊が浮かび上がったように見え、西方浄土から現世に来迎(らいごう)する仏たちの姿が道的に表現されて宗教的演出効果の多彩な堂宇として、浄土堂にふさわしい建物となっています。浄土堂と向かい合わせに建っている薬師堂は、現在、浄土寺の本堂です。室町時代に焼失後、再建されましたが、大仏様に和様と唐様(からよう:中国風)が折りなされ、この時期の折衷様式で、国の重要文化財に指定されています。他には、重源上人を安置した開山堂や本瓦葺き入母屋造り袴腰(はかまごし)付きの鐘楼、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)に基づいて配された鎮守社、八幡神社の本殿、拝殿、それに俳人・松尾芭蕉を讃えるために建てられた句碑(くひ)などがあります。
極楽山浄土寺・浄土堂
阿弥陀三尊立像
建設時期:鎌倉時代

極楽山浄土寺
小野市浄谷町2094



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