2018年8月18日土曜日

姫路市の城跡を訪ねて 3

大塩城跡(西法寺)

西法寺の境内が大塩城跡と伝えられています。東側の公園は外濠の跡だそうです。城主・大塩次郎景範(かげのり)の嫡男(ちゃくなん)景光は、赤松則祐に従い神南の合戦で功績をあげたそうです。
高砂市北浜町北脇・西法寺内

 妻鹿城跡

妻鹿城跡(別名:国府山城)は、市川右岸の標高98mの甲山に築かれた山城で、1580年(天正8年)秀吉に姫路城を渡し、黒田官兵衛は父・職隆とともに移り住みました。山の麓にある「妻鹿城址」の碑は1970年(昭和45年)建立されました。
姫路市飾磨区妻鹿

間浦古郭(城山公園)

城山公園は、飯盛山の古城跡で、地元では「城山」と呼ばれています。城主は苦瓜助五郎本道といわれています。
姫路市家島町真浦

英賀城跡

英賀城は室町時代の中頃、赤松一族によって造られましたが、1441年5月、城主の赤松祐尚(すけなお)が亡くなり、恋浜(現在の白浜町)の城主・三木氏がここに移り大きな城に建て替え、約140年間、東は的形から西は室津までを領土として英賀は栄えました。1580年(天正8年)1月、羽柴秀吉は三木城を落城させた後、同年2月、英賀(三木通秋)に攻め込みます。秀吉の策略に応じた三木与一兵衛ら5人が秀吉軍を城内に入れたことにより、焼き討ちにあい、英賀城は一夜にして廃墟となってしまいます。この英賀城本丸跡石碑は、英賀城本丸のあったところに1960年(昭和35年)建てられました。
姫路市飾磨区英賀

丸亀藩陣屋跡

龍野藩主・京極家が、四国・丸亀に移封されても興浜や浜田の地は、丸亀藩の飛地となり、京極家の領地でした。この興浜の陣屋には、郡代や郡奉行が派遣され、藩の屋敷などがありましたが、1870年(明治3年)取り壊されました。この建物は老朽化した陣屋門を参考に、1987年(昭和62年)改築されたものです。
姫路市網干区興浜

下記の地図でご確認ください。



0 件のコメント:

コメントを投稿