2018年8月21日火曜日

高砂市の城跡を訪ねて

高砂城跡

高砂城の記録はあまり残っておらず、起源も不明です。1578年(天正6年)羽柴秀吉の三木城攻めの際、三木城主・別所長治の有力武将であった高砂城主・梶原平三郎衛景行は、「三木の干殺し」に対して、最後まで兵糧の供給基地として播磨灘を押さえていました。秀吉はこの高砂からの兵糧の道を絶とうと高砂城攻めを開始。秀吉は約1,000騎に対し、景行は約300騎。毛利の援軍もあって打ち破りましたが、秀吉軍の大軍の前にあえなく落城。1600年(慶長5年)池田輝政が姫路城を築いた後、播磨の海の守りを固めるために高砂城も築き、中村主殿助正勝が城主となり、高砂は城下町として生まれ変わりました。しかし、1615年(元和元年)に出された「一国一城令」により破棄されました。
高砂市高砂町東宮町190
高砂神社内

下記の地図でご確認ください。



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