2018年8月23日木曜日

佐用町の城跡を訪ねて

 利神城跡

利神城跡(りかんじょう)は、1349年(貞和5年)赤松一族の別所敦範(あつのり)が利神山に山城を築き、赤松一族の拠点として栄えたところです。1600年(慶長5年)関が原の戦のあと、姫路城主(52万石)池田輝政公の甥・池田出羽守由之(でわのかみよしゆき)が、平福領主(23,300石)となり、山麓の城主屋敷や街道沿いには町人地など、5年の歳月をかけ城下町を築きました。利神山の三層の楼閣(ろうかく)は、「雲突城(うんとつじょう)」と呼ばれました。山頂(標高373m)に登れば、本丸・二の丸・大坂丸などの石垣が当時の姿を残していますが、現在、登山道が荒廃しているため登ることはできません。
佐用町平福

三日月藩乃井野陣屋跡

三日月藩・乃井野(のいの)陣屋館は、1697年(元禄10年)、津山藩森家の改易(かいえき:江戸時代に侍に科した罰で、身分を平民に落とし、家禄(かろく:給与)や屋敷を没収すること。)で、分家の森長俊が三日月の地に移住し、佐用郡・宍粟市・揖保郡の一部を治め、15千石の藩主となりました。陣屋(小規模城主の居城)跡は、発掘調査を行い、堀や石垣など当時の様子が再現されています。また、城下には当時の面影を残す町割りや武家屋敷も残っています。
佐用町乃井野966

佐用城跡

戦国時代末期、東西勢力拮抗の狭間で西の上月城、南の高倉城、東の利神城とともに赤松家の城郭群を形成していたが、1577年(天正5年)11月、羽柴秀吉が黒田孝高(官兵衛)、竹中重治(半兵衛)に攻撃させ落城しました。国道179号線沿いの駐車場から約10分(徒歩)です。
佐用町佐用地内

下記の地図でご確認ください。



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