2017年10月22日日曜日

姫路城下・明治時代にタイムスリップ2

演芸館「七福座」復活!!

明治30年頃、演劇愛好家の牛尾梅吉氏ら7名の有志が、二階町通りに(大手前通りとの交差点)「演芸館•七福座」を開場。姫路初の活動写真も上映されましたが、1900年(明治33年)焼失。1903年(明治36年)、竪町に「楽天座」が開場。播州一円から客を集め賑わいましたが、昭和初期に活動写真館に転用。当館は、無声映画時代専属の音楽隊を持っていたそうです。1908年(明治41年)、城南小学校跡に活動写真専門館「白鷺館」が開場。上映の際は、クラリネットやバイオリン演奏と活動弁士で構成され、弁士の人気によって観客動員数が左右したそうです。昭和40年代、姫路市の中心市街地には、南座(駅前町)、帝劇(忍町)、白鷺館(福中町)、白鷺名画座(西二階町)、日劇(竪町)、松竹座(竪町)、大劇(十二所前町)、日活(東駅前町)、山陽座(東駅前町)、第二白鷺館(総社)の10館ありました。
2009年西二階町商店街に

兵庫三大新聞・鷺城新聞

1900年(明治33年)、下白銀町(しろがね)周辺で生田慶吉氏が創刊。後に、活版業を経営する高橋金治氏(高橋秀吉氏の父)が引継ぎ、編集方針も『真実の報道を正義とし、正義のためには権威にも屈しない』と、当時の第十師団相手に論戦、教育界の乱脈、警察の腐敗を指摘し、市民から支持を集めました。最盛期には社員72名を有し、兵庫県の三大新聞と呼ばれ、播州一円の愛読者を持っていましたが、1919年(大正8年)廃刊となりました。
<鷺城文壇>
高橋金治氏は、三木露風、有本房水、安田清風ら全国で名をはせた詩人や文学者らが投稿する「鷺城文壇」を設け、近代播磨文学史に輝かしい足跡を残しました。

御幸通り完成

1903年(明治36年)秋、明治天皇が姫路城北練兵場での観兵式で行幸されるにあたり駅前通りが建設され、「御幸」と名付けられました。それが、現在の「御幸通り」です。

日本一の機関庫

1903年(明治36年)、当時経営していた山陽鉄道会社が姫路駅の西側一帯に、全国でも珍しい洋式煉瓦造りの大機関庫を建設。完成当時は、この洋風建物を見物するために弁当持参で市民が集まったそうです。この扇型の建物には、機関車10台収容できる車庫で、機関車を出入りさせるため車庫の前に回転台が設けられていました。当時、日本一の機関庫だったそうです。
第二次大戦前、機関車が大きくなりすぎたため取り壊されたそうです。戦後、機関車がだんだんと大きくなり取り壊されました。

下記の地図でご確認ください。



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