2019年5月10日金曜日

三木城跡

三木城跡

別所長治像
かんかん井戸
1578年(天正6年)5代目城主・別所長治は、織田信長の家臣・羽柴秀吉の軍に包囲され、1年8ヶ月に及ぶ兵糧(ひょうろう)攻めに遭い、1580年(天正8年)城主一族は、領民の命を救うために自刃(じじん)して三木城を開城しました。その後は、秀吉をはじめ家臣の杉原氏、中川氏などが城主となりました。1616年(元和2年)小笠原忠真(ただざね)を領主とする明石藩に編入され、1617年幕府による一国一城令により廃城となりました。その際、三木城の資材の多くは、明石城の建築部材に使われたといわれています。当時の城は、本丸(上の丸公園)、二の丸(図書館・美術館周辺)、新城、鷹ノ尾城(たかのおじょう:三木市役所周辺)、雲龍寺周辺までの一角であったといわれ、東播磨随一の規模だったそうです。本丸跡には、「今はただうらみもあらじ、諸人のいのちにかはる我身とおもへば」と記された長治公辞世(じせい)の句の歌碑が建てられています。
別所長治辞世の句碑
三木市上ノ丸町

上の丸稲荷神社

上の丸稲荷神社・鳥居 
絵馬



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