鹿島神社
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鹿嶋(かしま)神社は、遠く聖武天皇の勅願(ちょくがん)によって国分寺と国分寺の東院として大日寺が建立された時、その鎮護(ちんご)の神として奉祀(ほうし)されました。歴代姫路藩主の崇敬(すいけい)篤く、祭礼には、常に特使を派遣され奉斎(ほうさい)されました。当神社は、一人一願心を定めてお詣りする時その願いは必ずかなえられる霊験の著しいことをもって「一願成就の神」として有名で、遠くからも善男善女の参拝者が絶えません。
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鹿島神社・大きな鳥居
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生石神社・石の宝殿
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生石(おうしこ)神社の裏手に、切妻風の突起を後ろにして家を横たえたような横6.5m、高さ5.6m、奥行7.5mの巨大な石造物が「石の宝殿」です。水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」ともいわれていますが、多くの謎につつまれ、仙台・塩釜神社の塩釜、宮崎県・霧島神社の天逆鉾と並んで日本三奇(さんき)の一つに数えられています。いつ、誰が、何のために造ったのか、不思議な石造物として訪れた人の目を驚かせています。
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浮石
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御旅所
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竜山石採石遺跡
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竜山に点在する竜山石を採石した遺跡のことです。竜山石は、今から9,000万年前に形成された凝灰岩(ぎょうかいがん)で、古墳時代から現在まで約1,700年間採石され続けています。高品質で加工に適した石材として様々な石造物の製作に使われ、古墳時代の大王の棺や江戸時代の建築材などに利用されてきました。竜山石の製品は、西日本各地に流通し、石の文化を形成しているといえます。竜山全体で、160ヶ所以上の採石遺構があり、今回そのうちの31ヶ所が国指定されました。
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観濤処
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観濤処(かんとうしょ:国指定史跡)は、1836年(天保7年)、播磨灘を眺望する加茂山の中腹にある巨石に「観濤處」の文字を刻んだ碑石のことで、永根文峰(ながねぶんぽう:江戸末期の書家)が書いた「観濤處」を当時の姫路藩家老・河合寸翁が刻ませたものです。
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播州松巡り
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曽根天満宮・曽根の松
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菅原道真を祀る神社として知られる曽根天満宮。讒言(ざんげん)によって九州太宰府に流される途中、日笠山に登って休んだ道真が、「我に罪なくば栄えよ」と小松を植えられたのが後の「曽根(そね)の松」で、その後播磨に流された道真の四男・淳茂(あつしげ)が、この松のそばに父を祀ったのが曽根天満宮の始まりだといわれています。
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曽根の松
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荒井神社・結びの松
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舒明(じょめい)天皇の時代(629~641年)に創建された古社で、鎌倉時代に現在地に遷座(せんざ)。境内には一つの根元から男松と女松が分かれ出ている「結びの松」や武者小路実篤の歌碑があります。
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結びの松
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下記の地図で所在地をご確認ください。
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2017年6月13日火曜日
古くから景勝地として知られた「高砂」を訪ねて
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